VSCOはただの写真加工アプリではないんだ、物語の世界なんだよ。

 

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VSCO(発音は“ヴィスコ”)

2011年 オークランドカルフォルニアからはじまったこの写真アプリはただのアプリではない。アートテクノロジー企業と名乗るVSCOは現在、全世界で月間3000万人のユーザーを誇り、Instagramには#vsco #vscocamのハッシュタグがそこらじゅうに散らばっている。

 

フィルム写真の質感をうまく取り入れ、あらゆる手触りの写真を体感できるこのアプリは普段何気なく、そしてとても簡単に撮れてしまう「写真」の世界をより「なにか」として存在させようとしている。

iPhoneスマホのプロ写真家として活躍する層のかなりの人数がこのアプリを使用しているという。

 

しかしVSCOが目指したかったのはもっと近くにあったようだ。

ここ2-3年の間に、いままでとはちがう写真の居場所をつくりあげてきた。それは同時に起業した時の理念に立ち戻ることであり、創造性の原点に帰るコミュニティを提供することだった。

 

As humans, we’re compelled to create. It’s in our DNA. It may not always be pretty, it may not always be easy, but it’s our fundamental response to life. Creativity isn’t limited to an artistic class; it’s the radical expression of each person’s voice in this world. It takes different forms, a mad juxtaposition that reflects the individual’s own unpredictable, winding path. It isn’t limited to the polished aspects of life, but embraces all facets of human existence, the ups and downs, the loud and quiet.

 

- 人として、わたしたちは創造しないではいられない。

それはDNAに刻まれていて、決して楽な道ではないしいいことばかりではありません。でも、それは生きることへの反応。創造性は芸術教室に限定されたものではなくて、一個人の声を世界へ表明するひとつの表現方法です。それは様々な形をとり、それぞれの予期することのできない曲がりくねった人生と一緒に並んでいます。人生のきれいな部分だけではなくて、存在することそのもの、良いことも悪いことも、嵐も静けさもすべてが含まれます。

- VSCO A Community for Expression 

 

VSCO Gridと呼ばれるそのプラットフォームはSNSではない。

コメントボタンもリツイートボタンも存在しない。

- VSCO isn't playing Instagram's game, but it’s still thrivingより

 

 

そこにあるのは写真を通して語られる物語だけだ。

最初はCollectionと呼ばれ、関連写真をひとつの作品として編集して集めていく機能だけだったのが新しくできたJournalの項目によって写真に言葉も加えることが可能になった。

vsco.co

 母親の癌の闘病記をこのコミュニティで公開した“My Mother”と題された日記が頭から離れない。母親が癌宣告を受けてから刻々と病が進行していく、その視覚的な物語とそれぞれの写真に記された数行。家族が集まってくる、生きることってこんなにもはっきりと刻まれているのか、写真とは。伝えること、語ることとは。

 

 

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Jasmine Roseという写真家へのインタビュー

VSCO Gridではあらゆるクリエイターたちと組んでプロジェクトを立ち上げたり、インタビューなどを公開している。すべてがどんどんつながって、世界が広がっていく確かな手応え。

 

 And pain, phew, sometimes things just hurt so much that they inspire you to wanna do something. To get out your funk and go capture something, write something, visualize something, talk to someone about something. To just create, something. Whether it be through words, music, movement etc. It doesn’t matter, it’s the creating and the ability to create/share the story that pushes me.

 

そして痛み。

ああもう痛すぎて。でもそれが何かを創造するインスピレーションになるの。やけになって外に出て行って何か撮ったり、書いたり、映像化した、誰かと何かの話をする。ただ“なにか”を創造するだけ。それが言葉や音楽や動きを通してかは関係ない。その創造するっていう行為そのもの、そして創造してその物語を共有できるっていうことがわたしを動かすの。

- Jasmine the Creator 

 

 

創造することとは。

それは生きることそのものであると宣言するこの写真プラットフォームはこれからの写真やSNSのあり方を面白い方向へ引っ張っていってくれそう。そこで表現するわたしたちはより自由に写真の世界を舞うことができるのかもしれない。

 

 

mugiho

 

参考記事:

Famous Instagrammers we talked to all swear by this one photo editing app

VSCO isn't playing Instagram's game, but it’s still thriving

Jasmine the Creator | wethecreators | VSCO

大学に行けなくて嫌だったこと

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周りの友人たちが大学生活を満喫する中、

自分は大学へ行けないという事実にコンプレックスを抱いていた

とずっと思っていたのだが、そうではなかった。ちがう。

 

わたしは何度も大学に行き損ねている。

高校生だった時、理系選択で工学部目指していた。

その後、高校途中からニュージーランドへ留学して、都市計画を学びたいと思うようになった。大学に合格したのはいいものの経済的事情で帰国。

 

日本で受けられる大学がなかった。 家庭環境もボロボロだった。これからわたしはどこへどう進んで行けばいいのだろう。1年間何もできなかった。母が見かねてなんとか受けられるところと言って、私大を受けさせてもらった。なんとか入学できたものの、そこは到底体系的に物事を学べる場所ではなかった。1年で辞めてしまった。

 

その後はひとりで読んで書いての日々だ。

周りに哲学とかカオス理論について喋りあえる人はいない。

寂しかった。 いまもなお。

 

大学に行けなくて何が嫌だって?

体系的に物事を学びたいと思っていた自分の知識があちこちにバラバラ浮遊しているのが嫌なのだ。がっつり話すときにそれらが一か所に留まらないで勝手に歩き回っているのが嫌だ。まだ微妙にその知識とか情報とか思想が自分の中に落とし込めていないその慣れない感じが嫌だ。書いたり読んだりしたことを話し合ったり、その分野を極めた人と直接話せないのが嫌なのだ。

 

言葉が走り回って、たくさんの分野が一か所に存在しているあの空間に身を置いてみたいのだ。図書館の静けさとか終わりのないエッセイとリーディングの波に揉まれたい。わたしは純粋に知識と対話できる場所、そしてそれらが挑戦してくる場を求めているだけなのだ。

 

学歴という名が欲しいのではなくて。

わたしはただただ学べる場所が欲しい。

ただそれだけで、それが大学に行けなくて嫌なことだ。

 

mugiho

 

歩き「続けていく」ことはつまり、揺らいでいくことでは?

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Death of a Flower

 

過去の自分の書いた記事や文章を読むと、あの時はこんなにも苦しんでいて、いまも同じくらいに苦しいけど何だか少しちがう、と思えることがある。

それは成長したからとかそんなに気軽に思えることではない。

それはもっと確かになってきた、感覚。 まだまだ迷うことばかりの毎日は続き、朝起きることはいまだに辛く、先行きが見えない日々が続いている。

 

ただ、それをもが私という人間を構成しているんだよ、という小さな開き直りと理解がある。それがあるのとないのとでは心の回復度が全然違うのだ。

 

落ち込む時はひどい。

世界のどん底に蹴り落とされて、もう生きられないんじゃないかってくらいに辛い。そこは暗くて寒くて苦しい場所だ。もうこのまま目を覚まさなくてもいいよな、と思うくらいである。眠りについている方が楽だ。

 

そんな一日をなんとか歩き通す。 音楽と言葉と写真に頼る。月日が経って、昔と違うのは心を支えるつっかえ棒が少し増えたことだろうか。この世界にはさらに美しい星空があることを知ったことだろうか。人はある時はとても残酷で、そして同時にとてつもなく美しくあれることを体感したことだろうか。

 

どん底と中道の間を揺れ続ける毎日は振れ幅と言えるほどに均等に振れているのではなく、マイナスからへの真ん中までへの回帰という楽しい人生とは程遠いんだけど、でも。それでも私は歩いているんだよ、歩くのをやめていないんだよ。と叫びたいよね。

 

歩いても歩いてもたどり着ける場所があるのかはもちろんわからない。 それでも歩き「続ける」という行為自体にそもそもの意味があるとわたしは信じ続けたい。無謀な希望かもしれないけれど、その不確定要素こそがたぶん人生というものであって、その揺れ、時折巻き込まれる荒波に揉まれながらも、まだまだ生き続けていくこと。

 

人間との距離感は相変わらず遠くて近いし、まともに目も合わせられない日もあるよね。それでも街へ繰り出し続けるのは、やっぱりなんだかんだ、人間はとてつもなく奇妙で不器用で面白くてわたしはそれに惹かれ続けている。

 

いいよね、それでも。

 

日常を歩き通して、次の日の朝また歩き始めて、街を歩き周って、人間を観察して、落ち込んで絶望して闇の中を歩き回って、気づいたらまた太陽の下を歩いている。

 

それでいいんだよ。

 

 

mugiho

 

 

本当に言いたいことは別れる時に浮かんでくる

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もしかしたらわたしは、一見書きたいことばかり書いてきたように見えて、本当に言いたいこととか、書きたいことを書いてこなかったのかもしれない。

 

自分で言うのもだけど、結構我慢強い方だと思う。 引っ越しも転校も信じられないくらいに繰り返しながらなんだかんだ、新しい生活に慣れようと、自分なりに工夫をして、色々と言えない思いとか惨めさとかに耐えてなんとかやってきたって言う小さな自負がある。

 

書くことに関しても、最初は学校のカリキュラムで単位のために書かなければいけないと言うところか始まっているから、決して自発的なものではないのだ。 ある程度をうまく点数が取れるように書き換え、妥協した部分も今思えば結構あった。何しろ時間と単位数との戦いだったのだから、と今になって色々言い訳もできるが。

 

考え始めると、確かに、私は書きたいことを書いてこなかったんじゃないかと思う。真っ黒の手帳とワードとブログのこの三カ所に書かれた文章が、少しずつズレているのだ。なんだ、この不調和は。

 

書き始めている時点で、自分の中にある分析フィルターと考えモードを通過している。直接的な心のうちと正面から対面できないみたいだ。私のモレスキンはいつも“I”で始まって、気づけば“you”になっていることが多い。いつの間にか「私」は「あなた」になっていて、自分ともう一人の自分が現れる。

 

客観視といえば聞こえはいいかもしれないが、ときとしてこれはただの現実逃避にしかなり得ない。分析や気持ちの整理という名目で「わたし」が直接的に「わたし」として感じようとしている感情とか想いに蓋をしようとしているのではないのか。

 

昨日、好きだった人と別れた。

その話をしたときも、心と頭がバラバラに動いていた。何がどううまくいかなったのか、さて距離感を間違えたか、そもそもなぜ友達のままでいなかったのか。頭の中で答えを求めて考え始めていた。いや、正確には付き合い始めた時からだった。常に「好き」という意味とか定義についてすごく考えていて、目の前にある感情とまともに向き合えていなかった。だから別れる時も何も感じられなくて、わたしはこの数ヶ月間一体何を見ていたのだろうと、その空白が悲しかった。虚しかった。

 

いざ別れるとなると言いたかったこととか聞きたかったことが一気に浮かんでくるんだけど、でももうそんな時間も気力もないからただのさようならで終わる。本当に言いたいことはきっと、すべてが終わるときにやってくる。

 

またしてもわたしは言葉を飲み込んだ。

 

好きな映画とか音楽とか小説については語り合えても、それはいつも心の語り合いにつながっていくとは限らないのだ、と妙な納得が残った。それがうまく重なる時もあるし、それだけのつながりになることもある。

 

とてもあっさり終わった秋冬の恋は、でも楽しかった。

月の下を、夜の街を秋の風を浴びながら歩き回ったあの感覚はたぶんずっと忘れないだろうし、冬の海は真っ黒で、夕方の光は柔らかかった。

 

わたしの書いてこなかった本音はたぶん、いつも「風」とか「空気」とか見えない自然の中の「感覚」たちによって支えられて、表現されてきたのかもしれない。

 

これから、それを言葉につなげていくよ。

わたしは言いたいことしか、言わない。

書きたいことしか、書かない。

 

九月、春がきた。

 

 

mugiho

 

はじめまして、からの自己紹介は何回繰り返しても慣れない

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ニュージーランドの空は落っこちてくるくらいに近い)

 

はじめまして、からの自己紹介は何回繰り返しても慣れないなと

思いながらもはじめましてと言ってみる。

現在、南半球の果ての国でシェフ見習い中の21歳。

 

ある冬の夕方に東京で生まれてから同じ場所に2-3年以上留まったことはなく、常に動き続け、転校を繰り返した結果:小学校8校 中学校2校 高校2校。 そして引っ越し回数はそれ以上、たぶん20回くらいかな。引っ越し歴21年、プロフェッショナルです。

 

生後6ヶ月で初めて飛行機に乗る

もちろん何も覚えていなくて、その後2年間ほど住んだニュージーランドは写真からしかわからない自分の空白地帯。

 

九州で保育園へ通ったのはいいけど、なんだか合わないと幼いながらに思いはじめていた矢先にオーストラリアへの転勤。

ブリスベンから内陸3時間ほどの僻地にある牧場で3年間。はじめての幼稚園も小学校もアルファベットも、全てこの土地がはじまりだった。 真っ平らな地平線の向こうに沈んでいく太陽、こんなに赤くてピンクだったっけ。夕焼けに圧倒され、蜂に刺され、クラゲに刺され、馬とたわむれ、エミュー(オーストラリア版のダチョウ)と友達になり、感覚を感じていく自分の原点ってここだ。

 

帰国してからもとにかく毎年転校。

小学二年生で初めて日本の小学校へ足を踏み入れた私は本当に逆カルチャーショックとでもいうのか、とにかくすべてが新しくて、あまりにも世界とシステムと空気が違いすぎて何度も心が折れていた。

結局それを引きずったまま中学高校となんとか生き抜く。

 

こんなにも強くはっきりと「死ぬ」と思ったことは一度溺れた時以来だろうか。

中学校の卒業式か終わった後、母と一緒に祝っていたら突然襲ってきたこの世の終わりを告げる揺れ。私はその瞬間に死を覚悟した、本当に本気で冗談ではなく。東日本大震災福島県の内陸在住だった私の地域は津波の被害はなかった。机の下で眠り、ガラスで粉々になった床の上をスリッパで歩いた。ぎっしり本の詰まったとんでもなく重い本棚は横に倒れ、並べていた大好きな本たちが床に散乱していた。

町は騒然としていた。割れた道路と破裂した水道管と止まってしまったガスと水道と電気。別れたばかりの友人たちに必死で連絡した。いつまで経っても眠れなかった。ずっとずっと揺れている気がした。

 

気がつけば2週間後、私は九州最南端にいた。 合格していた高校を蹴って、誰も何も知らない土地へ。なにをどう感じていいのかわからないまま、混乱したまま夏休みになった。それでも人間は時間というもに癒される存在で、少しずつ、そしていつの間にか火山灰の降り注ぐ夏もありえない課題の量も蝋引きされた木の廊下も、好きになっていた。

 

やっと慣れたと思ったら、今度は家族が

移住を目指したニュージーランドへの引っ越し。

心のどこかでは日本を出ることを決めていた私はこの時初めて迷った。

いまのこの環境に居続けたらどうなるだろうか。ここでまた一からはじめることは果たしてどうなんだろう、この移住がうまくいく保証なんてどこにあるんだろう、と。

それでも結局は行くことにした。

 

海を渡りたどり着いた羊の国、とても冷たい雨が降っていた。

来たことあるはずの土地でありながら記憶がないので初めての体験であるはずなんだけど、でもどこかでは知っているような感覚が。

ここで私は「書く」ことに目覚める。 

somewhere.hatenablog.com

 

その後、またまた家の事情で帰国することになる。

なぜ自分の人生は真っ直ぐに進んでくれないんだろう、周りの友人たちの生活を眺めながらそんな鬱々とした1年半を過ごした後、東京の私大に入学する。そこで出会った大学生活は私のイメージとはかけ離れたものだった。また殴られるようなカルチャーショック。そのまま1年目の後期から休学してしまう。

 

次の年にはまたもやニュージーランドへ。

三度目の正直。

ここに拠点を作り上げる、そんな覚悟で持ってきたかった本たちもほとんど残して飛んできてしまった。 私には書くことと考えること、そして映画しかない。

 

それだけ、ではなくてそれがあるからこそ私は見知らぬ土地で生き続けてくることができたのだ。

そしてこれからは自分自身が次の行き先を選ぶ。

心に決めて。 冬の7月のある真夜中に

 

mugiho

 

直線上の一点に立ってみて

 

明日から始まる4日間を乗り越えると、そこには真っ新なページが待っている。いつの間に?という問いは私たちがある転換点に立つときに、自分に投げかける言葉である。

 

いつの間に、この場所に立ってこの文章を書いて、この空を見上げていたんだろう。

 

ここに来るまでに選んできた道の現実は、決めた瞬間にはその時の自分なりに考えて悩んで吟味して、を繰り返してきたもので、そのときに決めた自分を決して責めることはできない。それでも、どうしても時間という概念が直線的である私たちの感覚について思うとき、原因結果の法則というものを用いて、「後悔」というどうしようもない心を抱えてしまう。

 

あのとき、誰と会い、何を選び、どの角を曲がったかでこんな所に辿り着くなんて。こうしていれば、どう違ったのか。そのシナリオの数を見ると、私は脚本家になれるのではないかと真剣に思う。

 

またそれも選択であるのだけど。

 

そうしているうちに21歳になってしまった、2017年。

何かが始まろうとしている予感というのは節目に現れる自分の中で唯一の信頼できる感覚で、この4日間の後に起こり得るすべてはたぶん、これから先の長い(あるいは短い)人生をも変えてしまうだろう、というくらいの力がある変化な気がしている。

 

空気が変わる音がするくらいに明確で大きくて近づいてくるその足音は、果たしてこの先に続く直線の上にどんな物語を描いていくのだろうか。

 

未来にだけ期待して、過去に対して絶望したくない。

いま立っているこの場所で、いま感じることのできる風と空をその瞬間だけ覚えていたい。変化の真っ只中に身を投げたいのではなくて、いままさに、こうして変化に対して構えているこの自分の声を聞いていたい。