矛盾した二つの想いに挟まれ葛藤して生きること

ocean_film_35mm_photography_shasin

 


よくある年末のまとめみたいなものは書きたくないと思っている自分の存在を認識して「ああ人間は皆、特別でいたいんだ」と思う。

人と違うことにはリスクはあるけれど、同時にその他大勢の波に飲み込まれることから逃れることができる。その人にとっての幸せや心地良さというものはそれぞれだと思っているけど人間、みんな少なからず自分はどこか違う、なんらかの形で特別でいたいと思っているんだよね。そう思っている自覚がなくてもどこかでうすーく、あるいは瞬間的にそんなことを思っている。誰かの一番でありたいとか。どこかで何かに関して少し突出していたい。

そんな欲求とは裏腹にわたしたちは人と違うことを恐れる。コミュニティや社会から疎外されることは生存の危機に繋がるという歴史を歩んできたわたしたちにとって、人と違うことは避けるべき道だった。人と共にあることは生き延びる術であり、その感覚はわたしたちの遺伝子に書き残されていた。

特別でいたい。
そしてみんなと同じでいたい。

そんな矛盾した二つの想いに挟まれ葛藤して生きることにわたしはそろそろ飽きていた。わたしはどこまでも自由でありたいと願っていたのに同時にこれらの間を行き来しながら少しずつ心をすり減らしていた。

どっちからも逃げ出したい。
でもどっちからも心臓を掴まれていてなかなか抜け出すことができない。
一方に振れて泣き明かした夜があるかと思えば、もう一方を思う朝の目覚めがある。
わたしはどっちでもあり、同時にどっちかに偏っていた。

そしてそれでいいんだって思い直せたのが今年のわたしの大きな収穫だった。

必然的によそ者になってしまう子供時代を過ごした後、自分という人間を形成していた要素の多くが「違い」だった。わたしがわたしとして存在するためにはどこかで何かが違うという違和感を抱いていなければならないと思っていた。

でも、こうして一つの土地に2年以上暮らし、その間に自分の元を去っていく人の方が多いという初めての経験を経てわたしは「ふつう」であることにとてつもない心地良さを感じていた。通り道の工事が始まり終わるのを見届け、葉っぱが赤から緑からまた赤に変わる巡りを2周以上する。一見毎日を繰り返し、なんて平凡で普通なんだろうと最初はとても焦っていた。自分の知っている友人知人たちはあちこち旅行し世界を歩いて就職して新しい人たちと出会って肩書きが変わり名前が変わり住む場所が変わっていた。その間にわたしは同じ土地に住み、似たような仕事をしてお気に入りのカフェをいくつか持つようになっていた。まだ修理されない道路の凹みに毎朝足を取られそうになる。小雨から虹が出て冷たい夜風に吹かれながら帰路につく。一日に四季があるというのは本当でもうどんな天気になろうと気にならなくなったしその変化にも当たり前のように対応できるようになった。

バスは途中で来るのを諦める時が何回に一回かはあるし、時々運賃をタダにしてくれる優しい運転手さんがいる。街ですれ違う人たちの顔のうち何人かはまた会ったね、こんにちはという人たちがいる。

 

わたしはこの街を愛するようになっていた。
こんな地球の果てで一体全体なにをしているんだろう。
自分の好きな仕事でもないことで生計を立てて隙間時間に言葉と芸術に心を捧げる。あまり社交的とは言えない性格なのにシェアハウスに住み始めてみたら意外にも楽しくって驚いてしまった。家を出るってこんなにも自由と責任をもたらしてくれるんだって、そこに見えた自分の未来の可能性にワクワクした。

 

この土地に慣れれば慣れるほど、その安心感、ホームベースを踏み台にして逆に前よりも新しいことに挑戦できるようになっていた。それはいままでの新しい土地での生活と組み立てていくプロセスとはまったく違っていて、そしてそれを楽しんでいる自分がいた。こんなにたくさんのライブに行った年は初めてで、ひとりで行ける場所が随分と増えた。

そして何よりも今年は良くも悪くもエネルギーに溢れる人たちとの出会いがたくさんあった。でもそれもこの国に自分の足を思った以上に長く突っ込んでいた結果であると思っていて、それによって生まれた心の小さな余裕が人と繋がる力をもたらしてくれたように感じている。

 

すべての体験が良かったとは言わないけどたくさんの感情がわたしの身体を駆け抜けていってそれらによって翻弄された言葉には妙な人間臭さが漂っていた。

 

書き方も変わった。
書くことは果たして自分が本気でやっていきたいことなのだろうかと何度も(いまも尚)自問自答したしその答えは出ていない。だけどこの大きな感情の一年を支えてくれたのは言葉以外の何物でもないことも事実でやはりわたしは一生言葉とともに生きていくんだろうなと思った。

一年はあっという間で来年は数時間後の明日でしかない。
いつも通りに陽は昇るし(たぶん)自分の体は自分のままベッドに横たわって「来年」の朝日を浴びている。

それでも今年が終わってしまうことにわたしたちは切なさを感じられずにはいられないし、こうして一年の反省なり振り返りなりを書かずにはいられない。
わたしはそんな人間っぽさがきっと何よりも好きなんだろうな。

2018年の皆さん、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
次の年でまた会いましょう。

 

mugiho

 

追記:英語記事はこちら

https://mugiho.wordpress.com/2018/12/31/that-last-page/

 

人間は決してお互いを理解しあうことはできない。それでも。

f:id:muuu295:20181113181856j:plain

 

わたしはわたしというのは実はあまり好きではない。

そんな風に「わたし」と「その他大勢」の間にきっちり線を引けたらいいんだけども。

 

わたしはわたしだけど同時にあなたでもあり、そのあなたの写り込むもう一人の君であり、それはまた鏡を見つめ返すわたしの目。

 

わたしの大きなポリシー、人間との関係の基本中の基本は:

「人間は決してお互いを理解しあうことはできない」というもの。

 

これは決して悲観ではなく、矛盾でもなく。

これがあるからこそわたしたちは喘ぎながら芸術を生み出し、言葉を吐き出し、どうにかしてこの愛を向こう側に渡そうと必死になる。書かれた手紙も、描かれた愛の色もすべてはそれらを生み出した人間「だけ」がみていた世界にすぎないんだけども、こんなにもわたしたちの心をかき乱すのはなぜ?

 

どこかに流れている、川の流れが、小さなせせらぎが交差する場所。

そこにたどり着いた者たちは、一瞬かもしれないけれどこの瞬間の洗礼を受ける。

 

あ、わたしその感覚知ってる!

言葉が「わたし」がみていた感覚、世界、色味を描き出す時。

なぜ?どうして?どうやって?って聞きたくなる。

 

共感ではなく。理解でもなく。

まったく違うふたつの世界がふわっとひとつの空間に包み込まれるとき。

違う目を通して同じ世界を見ていて、同じ世界なんだけど違う世界でもあるんだっていうその認識がお互いにできるだけでわたしはずっとこの人と世界を見続けていたいと思うんだ。

 

 

mugiho

 

人間感情バロメーター

aesthetic, film, and drive imageã®ç»å

 

自分の気持ちを自分で理解することはとても難しい。

あまり客観的に眺めすぎると自分が本当に感じていることを見落としてしまう。あとで結構痛い目に遭う。

 

あれ、わたしって?何?こんなこと思っていたの?考えていたの?って自分っていうものがとても簡単にわからなくなってしまう。

 

ときには自分の周りにいる人間が心の鏡になる。

人ってどんなに鈍いと言われる人でも無意識では結構敏感だと思っていて、だからわからないところで密かに相手の雰囲気とか感情っていうものをキャッチしている。

 

会ってなんとなく好きとか嫌いとか面白いとか知りたいとか怖いとかっていう感覚はすべてきっとその瞬間の相手の心模様であり同時に自分の心模様でもある。

 

ふたつの違う心がひとつの場所で雨宿りして(無理矢理)会話させられているみたいな感じかな。嫌でも気にしてしまう隣に立つ人の空気感。

 

相手すべてを定義する何かではないけ初めて会った時の感覚とか印象って大事。やっぱりその後の大きなベースになるよね。そこで結構決まっちゃうっていうのもある。見た目とか言動じゃなくてその前に宿る雰囲気。感じ。ああ好き。

 

だから人と会うっていう行為は同時に自分を知ることにつながっているということになるんだね。相手は自分の鏡で自分は相手の鏡。ああわたしは元気ないんだな。嬉しいんだな。そうか。そうか。少しずつわかっていく感覚。ああでもあまり客観的になってしまってはダメだね。嬉しい。楽しい。好き。嫌い。

ただそれだけ。

 

なんだか面白い縁があってこうして目の前に立っている人なんだよ。どんな確率だろう。このすべての出会い。朝の通勤で同じバスに乗る人。通りですれ違う人。レジの担当。何かしらの運命だねっていつもひとりで心の中で呟いている。

 

嫌だなと思う人が来たら「自分よ〜最近どうしてる?元気?大丈夫?」って聞いてみる。

 

楽しいな好きだなって思う人が現れたら「はああ幸せ嬉しい」ってひとりでホクホクしている。

 

人間は人間の感情バロメーターなのでした。

 

 

mugiho

耳を澄ませば

 

f:id:muuu295:20181010184114j:plain

 

はじめまして

春です

はるばる地球の反対側からやってきました

 

こくこくと小さな足音を立てて

目を覚ませば陽の光が少しだけ柔らかくなっていて、

窓を開ければ冷たい風の先っぽに花の香りが漂っている

  

f:id:muuu295:20181010184151j:plain

 

わたしはこの国で3回目の春を迎えようとしている

生まれも育ちも年数で言えば圧倒的に日本の方が長いのにわたしの根底に流れているのは見たこともない国々の囁く声 どんな新しい場所へ行ってもどこか懐かしい感じがするのなぜだろう

 

季節が変わるのは世界中同じことでわたしの感覚に張り付いているこの懐古の存在もきっとそれらの普遍的要素のひとつなのだろう

 

風になりたいと願ったこともあったな

 

そんなわたしの頬にそうだよ、覚えてないの?

と絡んでくる春の風の愛おしいことといったら

 

mugiho

 

空っぽの朝

 

明日がもっと静かになったらいいのに
もう誰も起きない 誰もカーテンを開けない朝

日差しはひとりで空っぽの街に降り注ぎ
窓の開かない箱みたいな家たちは本当に箱になってしまう

心臓は静かに動いているけどそれはとてもゆっくりで
微かに鼓動は感じられるけど生きていると言うほどではない
でもまだ口元に耳を当てると囁きみたいな呼吸が聞こえるから

これは死ではない
生きていないけど死んでもない

そんな狭間に存在する人間たちは存在しているんだけどもういない
風と踊ることもなければ歌を歌うこともない
愛しているよと隣に横たわる人に言うこともなければ
憎んでいる人を殺めることもない

信号はひとりで勝手に青になったり赤になったり
でもその道路を通る車はどこにもいなくて

みんな、この地を去ってしまったみたい
まだいるんだけどね
もういないみたい


mugiho

 

わたしの願うこと

こんばんは。
戻ってきました。
七夕の夜に言葉と再会できました。

 

この数ヶ月という短いような長いような時間の間にたくさんのことが起こりました。

 

もうすぐ2年になる職場に辞職届を出し、異国の地での初めての転職活動に励み、精神ズタボロになりながらいろいろなところに面接に行って話す術を学び、なんとか良さそう決まったと思ったところから肩透かしを食い、職探しを再開して、やっと就職先が決まり、その途上でひとつ大きな目標が自分の中に立ち上がり、新しい家に引っ越しました。初めての他人との共同生活を始めました。22年間、20回以上共に新しい土地と家で暮らしを始めた家族と初めて離れました。

 

帰る場所がなくなり、心の拠り所である友たちが次々とこの地を去っていく。

 

街並みはいつの間にかオレンジと赤に彩られ、

そして朝晩は濃い霧に覆われ、

窓にはびっしりと水滴のつく冬という季節に突入した。

 

新しい暮らしと環境に慣れるのに必死な自分と、見慣れた風景や会話が流れていくのが寂しい。心が揺れるなんて生易しいものじゃない。まるで毎日台風と豪雨が襲ってくるみたいな心臓の鼓動。それでも平静を装っている。なんとか日々を生きている。朝起きて、隣の部屋の住人たちと当たり障りのない会話をして休みの日には本を読んで、言葉を綴り続けている。大きく変わったものと残ったものたち。

 

明日、いまの職場での仕事納めとなる。

この地に来て初めての職場で、学校に行きながら雨の日も晴れの日も懸命に通った。ものすごい体調を崩して1週間熱が下がらなかったり、あまりのストレスで心身ともに病みに病んだ場所。結構なきつい言葉を平気で投げてくる同僚たちに対してだんだんと耐性をつけて、よくわからない理由をするする引きずりながらわたしはここまで来てしまった。もちろん勉強になったこともたくさんあったし、すべてが無駄だったとは言わない。でももう少し早くこの場所から離れることができていたらわたしはここまで朝を疎むこともなかっただろうに、とも思ってしまう。だから明日を迎えることにホッとしているというのが正直なところ。そしてその先に見えている未来の微かな輪郭に目を凝らしている。

 

終わりはいつも何かの始まりであるのはわたしが一番よく知っているんだけど、

次の始まりはこの人生の中でかなり大きな章の始まりかもしれない。

 

一緒に読んでくれる人がいることはなんて幸せなんだろうって。
願うことはただひとつ。

みんなが伝えたいことを伝えたい人に伝えられますように。

書き続けます。

 

mugiho