直線上の一点に立ってみて

 

明日から始まる4日間を乗り越えると、そこには真っ新なページが待っている。いつの間に?という問いは私たちがある転換点に立つときに、自分に投げかける言葉である。

 

いつの間に、この場所に立ってこの文章を書いて、この空を見上げていたんだろう。

 

ここに来るまでに選んできた道の現実は、決めた瞬間にはその時の自分なりに考えて悩んで吟味して、を繰り返してきたもので、そのときに決めた自分を決して責めることはできない。それでも、どうしても時間という概念が直線的である私たちの感覚について思うとき、原因結果の法則というものを用いて、「後悔」というどうしようもない心を抱えてしまう。

 

あのとき、誰と会い、何を選び、どの角を曲がったかでこんな所に辿り着くなんて。こうしていれば、どう違ったのか。そのシナリオの数を見ると、私は脚本家になれるのではないかと真剣に思う。

 

またそれも選択であるのだけど。

 

そうしているうちに21歳になってしまった、2017年。

何かが始まろうとしている予感というのは節目に現れる自分の中で唯一の信頼できる感覚で、この4日間の後に起こり得るすべてはたぶん、これから先の長い(あるいは短い)人生をも変えてしまうだろう、というくらいの力がある変化な気がしている。

 

空気が変わる音がするくらいに明確で大きくて近づいてくるその足音は、果たしてこの先に続く直線の上にどんな物語を描いていくのだろうか。

 

未来にだけ期待して、過去に対して絶望したくない。

いま立っているこの場所で、いま感じることのできる風と空をその瞬間だけ覚えていたい。変化の真っ只中に身を投げたいのではなくて、いままさに、こうして変化に対して構えているこの自分の声を聞いていたい。

帰ってくる場所について

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帰ってくる場所がないままにこうして21年を過ごしてきて、

自分の後ろに残ったものとは。

 

毎年のように住む場所が変わり、学校が変わり、生活が変わるのが当たり前な人生を生きてきた。気づけば微妙な期間しかいなかったその場所に自分の居場所はなくて、「帰る」というほどの親密さもなければそこへの縛りもない。

 

ある意味では自由なのかもしれないが、自分は常に、

どこか心が帰れる物理的な場所を求めていた。

 

それはとても寂しい体験だった。

時間というものに、私は決して勝つことができない。

そんな絶望を抱き始めたのは、たぶん、気ままでどこへもたどり着かない、

他愛もない会話や非生産的な時間に憧れ始めた十代の頃。

 

昔の失敗を引っ張り出してきて訳も分からなく笑ったり、あの時、

誰が、なにした、どうした。私の耳にはすべてが理解できない言語だった。

 

とても孤独だった。

新しい場所から始める困難よりも、

こたえたのは帰れない、ただそれだけだった。

 

怖かった。

自分がどこかでつまずいて、その場所から離れないといけなくて、逃げないといけない時に、私はどこへ向かえばいいのだろうかと、眠れない夜、飛び立てない恐怖。

 

自分とは何か、そんな定義を模索するあの頃に(いまも尚)いろいろな項目が加味されるわけだが、自分の帰れる場所というのは私の中では大きな割合を占めていた。

 

そんな不安定さを持ったまま、私は21になった。

 

時間を重ねて、こうして物理的に動き続けた自分の人生の地図をいまこうして眺めてみると、ある感覚が降ってくる。それは訪れたすべての場所への愛。

 

雨が多かった。

乾燥した砂漠みたいな大地。

凍った道路と体の芯から冷え込む寒さ。

燃えるような夕焼け。

どこまでも続いてく海。

端っこが見える東京という街。

夜の光はネオンだったり、星だったり、

あまりにも眩しい月明かりだったり暗闇だったり。

聞こえるのは虫や鳥の声、車のクラクションだったり、波の音だったり。

言葉たちは、不思議なイントネーションと、まったく違う言語と、

大きな声、柔らかい口調、すべてが混ざり合う無秩序な音の渦。

 

淵に立ち続ける孤独、それは私をつくりあげた。

帰る場所は、訪れた場所すべて。

それはいま、私というひとりの人間の中に

ひとつの大陸となって、そこが帰る場所。

 

mugiho

 

不確かな世界へ 3

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LOST SOUL

 

3.

その目なのか石なのかわからない物体を拾い上着のポケットに突っ込んだ。ひんやりと冷たい。ビー玉みたいな滑らかさ。思っていたよりも小さくて指の間にすっぽり収まるその小さな正体不明の(私は目だと思っている、どこからかくる確信。不可能な確信。)ものをもてあそびながら再び歩き出す。

 

喧騒の中での一瞬のこの出来事はこれからの何かの啓示のような気がしてならない、と思い始めるのは占いや運命をいまだに信じ込んでいる迷信的な自分だ。それを制するように偶然の確率論、心理学的な思い込みや生物学的観点からの欲求へと思考を引っ張っていき前者の可能性を静かに消していく。そうでもしないとバランスを崩してしまう。

 

さて、私はどこへ向かっていたんだっけ。非日常に少し寄り道してしまうとなかなか戻ることができないのも何かと不便だ。そうそう、本屋だ。本屋へ向かっていたんだ。思い出すと早い、イヤホンをしっかり耳にはめ直していまかかっている曲を確認し(Oh Wonderの『Without You』)人の流れ、まさに流れという速さの中に飛び込んでいく。さっきのかつかつした足音は消え、それは私の手の中にある。なんだろう。じっくり見る暇がなかったな、と今更のことのようにおもい、でもとりあえず歩く。

 

やっぱり秋だ。空気だけじゃない。妙な寂しさがある。それはこれがこうだからこうでああでうん、そして結果としてこうなる。と説明できない、秋だけが持ち得る特別ななにか。言葉で説明してはいけない。言い聞かせることは簡単だ。頭は大抵自分の言うことは聞かない。気づけば私の足は本屋への入り口を登っている。急いでいたみたいだ、少し息が上がっている。段差は浅く、段数は多く、簡単に登れているのかどうかわからない。みんなもうひとつの少し狭くて表通り側にある階段を使うからこっちはガランとしている。

 

 

mugiho

 

やけに静かな心臓と

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やけに鼓動の音が静かだ、と思う。

自分はこの世界に存在していないのではないかという衝撃的な事実が降ってきて私は心臓発作の一歩手前で立ち止まる。右手を左胸の下に当てて。右手で左手首の青い線を探して。両手で首をつかんでみる。

 

聞こえる。

 

そんな当たり前のことを日常的に確認しなければ前へ進むことができない。

こうして日々の中に突然と現れる現実という(もしかしたらハリボテかもしれない)世界をひとつひとつ確かめていかなければ自分の呼吸さえもすることができない。

 

なぜ。どうして。

すべてに対するすべての問いを抱えて。

 

人と人が行き交う街はもはや人間の住む場所ではなくて、流れていくたくさんの何かが一箇所に押し込められる場所。そしてそれは一瞬の密度を保ってからまるで蜃気楼のように遠くへ消えていく。

 

街は所詮そんなところだ。

相手は意識が集合知として稼働している「社会」だ。

そんな中で自分の心臓の音なぞ聞こえるはずもない。

 

と言い聞かせながら夜を鏡に帰路につく。

 

 

mugiho

 

見えない場所、聞こえない言葉。

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Fire tonight in Greenpoint

 

見えない場所でなにをしているのか。

まだどこにも辿り着けない自分は毎日をどう生きているのか。

人に認めてもらいたいんだという叫びを押し殺しながらそれでもなんとか平静を保って日常を送っていくのに良い悪いもなくて、そこにあるのは自分の心の感じ方だけなんだ。

 

自分が歩いて来た道を振り返ってみるとなんて、なんて遠回りをしてきたんだと思う。

そしていまもまだこうしてどこにも行けない自分がいて、周りを見つめるといま立っている場所は途方もなく遠くてどこでもないどこかで比べながら落ちていく心をどう受け止めればいいのか。

 

それでも大丈夫、と言うのは簡単かもしれないけれど実際にその道中にいる人間にそんな気休めみたいな言葉は届かない。そこにある刺すような風の痛みとか晴れない霧みたいな迷いとかそんな中を彷徨う人たちにはなにを言えるのだろ。

 

聞こえない言葉は強い。

言葉にならないことに胸が満たされたとき人は、言葉との関係をもっと深める。文字があるその奥には、言葉にならない呻きがある。そう思って誰かの文章を読んでみる。書かれていないはずのことが、まざまざと心に浮かび上がってくるのに驚くだろう。奇妙に聞こえるかもしれないが、言葉とは、永遠に言葉たり得ない何者かの顕現なのである。

 『言葉の贈り物』若松英輔

 

そんな言葉たちを言葉の間に探しながら。

 

 

mugiho

 

 

不確かな世界へ 2

 

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2

聞こうとすればするほどの聞こえなくなるのはなぜ。

一方で聞きたいと願う音や情景や情報が一気に駆け巡るのは?

 

過ぎ去っていく人々の顔を認識しようと私は地面の影を見つめていた顔を上げてほとんど上を向いたような状態で歩く。果たして、これで人の何にかが読めるとでもいうのか。言葉さえもまともに人に理解されないのだから人の顔からなんて何がわかるんだと言いたくなる。その気持ちはよくわかる。いまもなお。

 

ぼんやりと歩くとはこのことを言うのだ。

そのまま道端の足首より少し上までくらいの花壇に足をぶつける。擦りむく。滲んでくる深紅色に魅せられて私は動けなくなった。

 

自分の体を駆け巡るものの中にこんなにも鮮やかな色があるとは。

もしかしたらそのためだけに血はこんなにも赤いのだろうか。

そんなことを思いながら、まだ目が覚めないまま嘘の言葉で固められた東京の夜を歩く。そこら中にギラギラしている言葉たちには手段以外のなんの意味もない。そう言ってしまう全てに意味がない。つまり私たち始まりから既に尽くしてしまっているのだ。

 

道ゆく人々って何を考えているのか。

この中に少しでも忘れ去られていく記憶に少しでも何か思う人はいるのか。

 

心が叫びたくなるのは秋。

昨年の冬から着すぎてひとまわり伸びてしまったセーターの首元を近くに引っ張って少しでも目で見える箇所を埋め尽くそうとする。やけに足音が響くと思いながら立ち止まって靴の裏を見ると真っ青な何かが小さな溝の間に埋まっている。近くにあった小枝を拾って青を取り除く。それはなんとも言えない爽快な響きを抱えて灰色のコンクリートの上に転がり落ちた。周りに人がいないのを確認して急いでそれを拾いに行くと今度は青くないのだ。透明でかすかに先ほどの青で濁っているような気もしなくない。誰かの目だ。ふとそう思ったのはなぜかわからないのに妙な確信を帯び始めたその思いはいつの間にか私の中で事実となっていた。そしてそのとても妙な事実を変だともなんとも思わない自分。一瞬でその目につかまれてしまった。

 

 

mugiho