こんなに世界の音がうるさいのはなぜ。

もう少しすれば良くなるよ。
あと少し頑張れば。あともうちょっと続ければ。
そんなの嘘だよ。もっと頑張るって、もう心が立ってない状態で今のたうちまわっているって言うのに。なんてことを言うんだろう。

世間の音がとても大きい。わたしの頭の中でこだましている。
そう、わたしの頭の中なのに。そして誰も直接言葉を発していないのに。

いつも寂しいのも。悲しいのも。
わたしという人間が世間の「普通」からずれているから?
周りと違った順番で人生を歩んでいるのも。
悲しくて眠れない夜があるのも。
きっとみんな同じだと思うんだよね。

冬の夜は妙に肌寒くて会いたい人に会えない夜。
言いたい言葉が言えない。
苦しいのに笑ってしまう。
ろうそくの灯が揺れているのを眺めながら。

こんなに世界の音がうるさいのはなぜ。
絶望が鳴り止まないのは。
明日を見たくないのは。

なぜ。



mugiho

 

 

 

もう何を詰め込んだのかわからなくなってしまった。

悲しみを埋めるためにわたしは食べたくもない空っぽの情報の粒を次々詰め込む。
もう何を詰め込んだのかわからなくなってしまった。

あれ、今何をつかんでいた?
わたしはどこへ向かって歩いているの?
鏡に映っているのは?
このカフェを選んでそこに足を踏み入れるのは?
なんでその色を選んだの?
なんでそこに行きたいの?
ねえ、それは本当にわたしという名のあなたなの?誰なの?

Instagramの横に流れていくストーリーの数。
Twitterの終わりのない呟きの滝。

決して追いつくことのできな誰かの人生と憧れの生活と切り抜かれて加工された写真たち。美しく編集された言葉とあらかじめイメージ通りに作り上げられたオンライン上の「わたし」というキャラクター。終わりのない始まりと、常にどこかで何かが始まっている世界でわたしは。

比べれば比べるほどに抜けられない沼。
わたしは一体全体ここで何をしているの?あの人はこんなに成功しているのに。こんなにたくさんのことをやっているのに。ねえなんでわたしはまだこんなところでくすぶっているの?なんであの人やあの人みたいにできないの?

それはマントラみたいにわたしの心の端で渦巻いてだんだんと身体中に広がっていった。時には息がとても浅くなって息をしていないみたいになった。すべてが怖くて希望なんてない。わたしはもうここから廃れるだけなんだという絶望だけが残った。

タイムライン上を滑る指の下をくぐってわたしの意味不明な呟きだって消えていく。そこにあるのにすべて消えていく。これが虚無感の、埋められない悲しみの、寂しさの正体か?

わからないので呟きと写真の投稿はわたしという存在の小さな確認のためのみとしよう。少しずつあそこからここへと戻ってくるプロセス。その他大勢からわたしへと戻ってこよう。

おかえり。





mugiho

 

楽しく生きたいんだもん。

今日は仕事を断ったんだ。

結局自分の不得意なところで勝負しようとするとどうしても何かが合わなくなってしまう。それは精神的なストレスだったりタイミング的な問題だったり、何かがうまくまわらなくなってしまう。自分の好きなことをやるのにリスクが必要というのはこういうことなのかと今身をもって体験している。身体が弱くてしょっちゅう体調を崩しているのにどうにかしてキッチンの仕事ばかりが私の元へやってくるのはなぜだろう。

好きなことを選ぶのにはリスクがある。勇気がいる。あれもこれもできたら一番いいのかもしれないけれど時間は限られている。生きる時間も限られているし生きている間にできる好きなことへの時間だって限られている。その中でどう効率よく生きられるのかっていうことばかり考えていた。

学生になったいま、家族のサポートもあって少ないバイトでなんとか食べていけている。贅沢はできないし旅行なんてできない。でも毎日一冊一本の映画と本とともに過ごしていられるこの瞬間ってすごく幸せだし自分の好きを全うしている。

それには時間を好きへ向かわせ、好きに費やすリスクとお金との反比例の問題がある。お金目当てでもっときつい仕事だって受けられたけどそれには体と時間を引き換えにすることになった。書く時間もないだろうし何よりきっともっともっと泣いていたと思う。なぜ自分はまたこのループにはまっているんだろう。お金は入るかもしれないけれどストレスと悲しみに縛られて勉強の時間も疎かになる。

わたしは好きな人たちと好きなことをして生きていく。もう決めたんだ。甘いとかそんなに簡単じゃないっていう人もいるかもしれない。でもこれはわたしの人生でわたしが生きるわけ。誰にも何も言わせないし、何より楽しく生きたいもん。
自分のことも自分の生きている世界を大好きでいたいもん。

ただそれだけ。

 

 

mugiho

 

自分がわからないから相手がわからないし、相手も自分のことがわからない


確かに近い関係も大切なんだけど一番は大切なのはいかに自分との関係と向き合っていけるかなんだよね。

自分がわからないから相手がわからないし、相手も自分のことがわからない。お互い様っていうところだね。人間ってなんだかよくわからないところでわがままで気を抜いちゃうみたいで近くなった人間はわたしをわかってくれるみたいな幻想に陥っちゃう。

そりゃあみんな理解されたいし、認められたいし、愛されたいし、そうだねって言われたいよね。わたしなんかもうめちゃくちゃそうされたい。でもさ自分の外にあるものってすべてコントロール不可能なんだよね。住む場所とか働く場所とかそういう俗世の装飾について言ってるんじゃなくて感情とか人間とか突如起こる人間ドラマとか人の動きとか。相手の脳波でも操作して遠隔で感情コントロールとかできれば別なんだろうけどあいにくわたしにはそんな高度なスキルもないので大人しく起こることを観察して受け止めるしかないんだけどなかなか難しくて結構あっという間に相手の波とかリズムに飲み込まれちゃうのね。それがいい時もあるんだけどさ、こうまだ自分という人間があやふやで悩んで困ってる身からしたらわざわざブラックホールに飛び込んでいくみたいな行為なんだよ。つまり自爆行為。

わたしに一番近いわたしが何が何だかわからないならわたしの外にいるその他大勢の人たちはもっとわからないよね。ということはまず、どう生きていくにしてもどうしても逃げられない自分との関係をなんとかしないとなんとかならい。そこからだね。あとはもうどうなるかわらかないけど、きっと自分の中からたくさんのドロドロした欲望とか希望とか悲しみとか憎しみとかもう見たくないくらいの物が埋まってるんだと思う。それらを丁寧にひとつずつ掘り起こしていくのが最初の最初。始まりの前の始まりっていうところかな。

 

人生はそれからだね。
今回の学業休暇の課題にしよう。
質問リストでもつくったらまた書こう。

 



mugiho

 

寂しくて悲しくてたまらない夜もある

なんでいつもこんなに心が空っぽなんだろう。

すべてはいつか終わるんだっていう事実が常に頭ので渦を巻いている。
楽しい時間はいつか終わるし、美しいと思っていたものは静かに枯れていく。
枯れた花に美しさを感じていられるのもきっと心が明るいうちだけで、寒くて雨が降り注ぐ冬の早朝に仕事に向かう足取りでその枯れた花に美しさを感じ続けられることができるだろうか。

幸せ、楽しいことが起こっている間は誰だってその喜びを感じることができるんだろうけど、人と関わっていく中で理不尽で悲しくなってしまうことってたくさんあって、その中で平静を保って幸せを唱え続けられる人ってどれくらいいるんだろう。

どうやったら幸せをちゃんと感じられるのかな。

だいぶ心が疲れているみたいで日常の当たり前の景色が灰色に見えてしまって寒さはわたしをいじめるための道具としか思えない。涙がどんどん流れてくるけどどうやって止めればいいのかわからない。人と会えばそれなりに話せるし楽しいんだけど別れた後、心の中に大きな空っぽの穴ができる。いくら大好きな相手と過ごした後でもその大きな穴を埋めることができない。それはきっと自分でしか埋めることのできない穴でその方法がわからないんだ。

 



mugiho

 

終わればまた何かが始まるんだろうな。

何かが終わるっていうことは何かが始まるっていうことなのであまり悲しくはない。
というのはただの強がりで、大学1年の前期が終わるのもあんなに嫌だったアパートから引っ越すのも誰かにさようならを言うのもなんだかんだでやっぱり寂しいし悲しい。

自分の人生、あまりにもこんな出来事ばかりだからどうやったらこの寂しさを感じないで生きていけるのかという術を獲得するためにたくさんの本を読んで映画を観て音楽を聴いて詩を読んできたけどそこにはわたしが逃げようとしてきたすべてがあった。

寂しくて眠れない夜とか。
どうしても届かない想いとか。
どこにも属せない底なしの孤独感とか。

そこにはわたしが感じたことのある感情以上にたくさんの色があった。
それを表現していい。共有していい。書き記していい。
ああ、これって別におかしくなかったんだ。わたしだけじゃなかったんだ。
なんだかそれだけで世界に認められた気がしたし、自分が認められたかったことにも気が付いたしわたしが感じることは間違いでもおかしさでもなく、ただ人間であること、ただそれだけだったんだっていうこと。

いろいろ終わりに近づいてるけど終わればまた何かが始まるんだろうな。