自己中な理由でもいいよね?

いまわたしはここで一体全体何をしているのだろう。
あんなに大学に行きたかったわたしはこの場所に何を求めていたのだろうか。
学歴?就職先?安定した人生?本当は何をしたかったのか、本当にさっぱりすっかり思い出せなくなってしまったみたい。ひたすら周りにかき立てられるように成績に一喜一憂して心は常にゆらゆらしててもうすべてがバラバラと崩れていくようで。

わたしはどこで誰と何をして生きていたかったんだっけ?

目的や目標は持てば持つほどにきりがなくて底なしの沼。
決して満たされることなくどこまでも悲しみと虚しさが広がっていくだけ。

こうしてわたしが学んでいることは世界の役に立つ?ただの自己満足?
ここに書く意味って。そもそも意味って?存在している意味って?
意味って考え始めるともうそれこそ意味なんてなくて行き着くのは、結局すべては自己中心的な世界であったということ。それで、そもそもなんで自己中心的であることが悪になったんだっけ?どうして自分の好きを宣言すること、自分の不得意でできないことをやらないこと、避けることがいけないのかな?

 

わたしは随分と長い間、(今もだけど)自分の心が泣いちゃうようなことをなんとか克服しようといろいろと試したけど。でもやっぱり体はボロボロになるし心はズタズタで結果もイマイチパッとしないの。なんていうのかな。そこまでしてなんとかしないといけないことかな?辛かったら、嫌だったらもうやらなくてもいいと思うんだよね。

でもね、いまこうして学んでいること。時々ふと降ってくる繋がる瞬間とか書いててぴったりの表現が浮かぶ時とか。なんか世界がカチってはまる音がする時がたまーにあるのね。もうその時の幸せと言ったらね。そのために学び続ければいいのかな。

こんな自己中心的な理由で学び続ければいいのかな?

 

春の午後3時に似合いそうなプレイリスト。


春の午後3時に似合いそうなプレイリスト。


こちら南半球は現在冬へ向かっているので午前11時か午後1時半くらい向けかな。

音はわたしの感覚の中のとても大きな部分を占めていて、微かな風の音とか誰かの声とか好きな曲とか。見えないんだけどすごくその存在を肌に感じることが多くてだから音楽はわたしの生活に欠かせないものだし、冬でも大きく開放された窓は風の流れも含めてわたしにたくさんの音を届けてくれる。

好きな人たちの声はいいね。
わたしはたぶん結構声に一目惚れしてしまう人間なんだと思う。
好きな人たちの声が大好きだもんね。

今日も好きな曲を聴きながら眠りにつこうか。
それか午後のお昼寝。


 

もう本当に疲れちゃった。

もう本当に疲れちゃった。

 

好きでいることに。待つことに。会うことに。
好きで居続けることってこんなに難しいの?関係を保つってこんなにも複雑だったっけ?普通に会って一日の話をしてあー隣にいてくれて幸せ、空間を共有できるのって幸せって思いながら眠りにつくだけじゃダメなの?

 

社会的ポジションとか人生のステージの違いとか世界観の違いとかさ。好き、の外側にあるその他ものがたくさん積み重なってきてぐるぐる巻き付いてわたしの心を縛るんだよ。息が苦しくてどうしようもなくなる。考えてると頭が痛くなってくる。

 

ただまっすぐに好きでいたいだけなのになんでこんなに難しくなっちゃうんだろう。いつもいつも泣きたいような、締め付けられるようなわたしの心に気づいているのかな。

 

夜にひとりで泣きながら別れ話のシナリオをいくつか展開させているわたしの頭の中を覗けるわけでもなく。

 

会ったら楽しくて幸せでもう少しだけこの時間にしがみついていたいと思うんだけど、それ以外の時間の苦しみの方が長くて重くてもうわたしの心は耐えられない気がする。折れてしまうよ。

 

 

 

短くても滅茶苦茶でも何でもいいからさ。

短くても滅茶苦茶でも何でもいいから少しでも、書き続けていこうと思う5月はじまりの日。新しい時代の1日目。

 

というのもわたしはしばらくの間、書いたり読んだり観たりという時間が圧倒的に少なくなっていた。それは毎日普通に仕事に行っていた状態から大学生になる、という変化が大きかったと思う。生活の仕方が一気に変わって長らくアカデミアの世界から離れていたわたしにとってレポートや課題をこなすこと自体からリハビリのように少しずつ慣れていかなければならなかった。同時にバイトを掛け持ちして生活費を工面する。

 

そして新たにわたしの人生に現れたある人の存在によりわたしが当たり前に過ごしてきたひとりの時間が一気に二人の時間になった。それはそれでとても幸せなひと時だし、一緒にいるときはもう心が温かくて溶けそうな瞬間の数々。

 

でもねあまりにも毎日のリズムや社会的立ち位置、彼とわたしのそれぞれの友人たちの世界が違いすぎてわたしはその二つの世界を行き来する二重の人格を形成してしまっていた。

 

徒然言葉を綴っていく感覚。風や季節の節目に静かに思いを向けていく時間の流れ。そんな、わたしにとって当たり前の感覚から遠く離れてしまっていた。気づいたらわたしは定期的に鬱が襲ってきて、涙を流しながら眠りにつきろくにノートも開けない人間になっていた。

 

この記念すべき新しい時代の初日。やっとわたしの部屋に机がやってきた。
どう関係があるのかというとね。わたしは机に向かわないと何もできない人間なんです。映画も物書きも読書もほとんど机に向かってする人間なんです。だから机が部屋になかった間、妹に罵られながらダイニングテーブルで書いたりベッドの上で書いてみたり床に座って書いてみたり。もういろいろ試したんだけどどうもダメみたいで。いま目の前にはロウソクとランプと大好きな書物たちが並べられていてね、わたしは心から幸せだよ。

 

少しずつ、わたしの心を取り戻している。

 

風が一気に冷たくなった南半球はもう秋を迎えていて、どっちかといえばもう冬って言ってもいいんじゃないかなっていうくらいの寒さがここ数日続いている。心は寒さに負けそうになって唸っているけど寒くなればなるほどにわたしの言葉や芸術への愛が強まっていくんだよね。

冬が来たな。

令和だ。


終。

 

平成が終わるからなんていう理由で。

平成が終わるからなんていう理由でわたしはブログを再開する人間だったっけ。年末年始、誕生日。引っ越し。わたしの人生に到来する節目に書かれる文章たちはみんな、あまりにも薄っぺらい。当たり前だ。年に一回のそれぞれの記念日にそれまでのまとめを一気に書くようなものだから大したものは出てこない。そんなの当たり前だよね。夏休みの終わりにまとめて書く一行日記レベルだ。

 

と言いながらもこうして平成の終わる日にわたしはワードを開いて黙々となにを書きたいのかもわからないままこうして打ち続けている。

 

平成8年に生まれたわたしは結構この世代のはじめの方だなと思いながらいつも日本の諸手続きで平成で混乱していたのを思い出す。平成8年は4桁の西暦に比べたらあまりにもさっぱりしていて、ましてや一桁の平成序盤生まれのわたしはいつもその空白に面食らっていた。

 

わたしの人生はちょうど2/3ほどが日本。それ以外が南半球という微妙な年数だ。少しずつ長くなってくるこちらでの生活。ときどきふと浮かんでくる日本の風景との重なりはたまにどうしようもなくわたしの心をかき乱す理由はいまもわからない。

 

日本には戻る実家もなければ家族もいない。だからと言っていまいる国だってギリギリなんとか学生ビザで滞在しているだけで、わたしにはここという帰れる場所はない。日本で暮らしていたときも、ここに暮らしている今もわたしは家なき子であり、それはたぶんしばらくは変わらないと思う。

 

中学、高校生の時はあまりにも社会や学校という場に馴染めくて日本という国の文化のせいにしていたけどいまここでこうしていろいろ悩んで鬱々している状況を考えてみると日本でもここでもあまり変わらないのかもしれない、と最近思う。

 

暮らしている環境はだいぶ違えど、わたしは日本で日本人の両親の元に生まれ、そして「わたし」となった。パスポートは日本だけど、わたしはわたしである。

 

平成が終わる今夜、特別なことは思えない。
でもこの節目を意識できるのはきっとわたしにも少しは日本という国との繋がりがあるからであって、きっとこれは死ぬまで消えることはない。

 

わたしが訪れた場所、暮らした場所たちはわたしの一部となって「わたし」としてこの宇宙に存在していて、平成は終わってしまうけど明日はいつも通りにやってきて、この国の人たちはいつも通り生活を続けるし、きっと日本にいる人たちだっていつも通りに生きていくんだけど、こうして何かが大きく切り替わる瞬間にわたしは存在していたんだと思うとなんだか不思議だよね。

終。

特別なことは書けないから書かない。

特別なことは書けないから書かない。

 

書く理由は昔もいまも同じで自己中心的な動機からきている。


生きていくために書く。
しいたけさんのブログに感激した。

生きるために書いていたあの頃 | しいたけオフィシャルブログ「しいたけのブログ」Powered by Ameba


そうだ、わたしは生きていくために書いていたんだ。
思い出した。

それは感情の昇華とか頭の中の整理とかまあたぶんいろいろな理由があると思うんだけどわたしはただただそのとき。未来とか現状を目の前にした時、本当に息が苦しくなって呼吸困難に何度も陥った時に。言葉がわたしの前にあった。

 

ただそれだけなんだよね。

 

そしていまこうして言葉を綴る夏の終わりの夕方。
わたしの心はこれから始まる大学での勉強への不安と。

仕事でヘトヘトの体と。恋人との関係にゆらゆらしている心と。

そんな不純物を抱えてわたしは全開になった街のど真ん中のアパートで夜に踏み出す人間の音たちを浴びながら。こうして書いている。

 

心を落ち着けるためなのか。不安を慰めるためなのか。
そんな理由はどうでもよくて。

 

わたしが書く理由はいつもとても個人的な理由であるということ。

 

そしてそれでいいんだっていうこと。

特別な何かはいらない。わたしはただ息をするためだけに書いている。

 


mugiho