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東京が恋しくなる時、それは雨の日

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人が行き交うのを眺めるのが好き

とんでもない人混みを鳥のように上から眺めて

 

交差点の色が赤から緑へ

緑から赤へと変わるのを

ひたすら繰り返し見ているだけなのに

 

そこを行き交う人たちは刻々と変化し

真っ白に塗られた線はなんだかとても眩しくて

段々と街の色が変わっていくのは私には関係ない

と言わんばかりにひたすら真っ白でいる

 

蛍光灯みたいに光っていた太陽も

時間が経てば夕方に顔を出してくる

夜の始まりにバトンを渡す

 

今日もお疲れ様

これからまた一仕事するか

そんなやり取りを知るのか知らないのか

 

人々は歩いてゆく

すれ違っていく

交差点はとても不思議な場所だよね

 

人間があんなにたくさんすれ違うのに

それは物理的なことだけで

心の距離はどこまでも遠くて

 

っていうのは当たり前なのかもしれないけれど

(だっていきなり知らない人に話しかけるわけに

いかないじゃんね?少なくとも自分はしない)

 

なんだか時々とてつもなく寂しくなる

 

それでもやっぱり街が好きで

人がぐわーって駆け抜けていく交差点と

地下鉄とビルの中と電車の乗り降りと

 

雨の日は東京がとても恋しくなる

 

 

mugiho

 

 

 

結局

Words

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泣きたい日も泣けない日も

笑いたい日も笑えない日も

目を覚ましたい日

ずっと目を閉じていたい日

 

毎日が同じ

明日も同じ

今日も同じ

 

同じ道を通って

同じバスに乗って

同じ本屋さんに寄って

同じ空を見上げる

 

暮らしという繰り返しは

生きていることなのか

 

あるいは何処へも行けない

もどかしさなのか

 

その答えを得られないまま

また今日も起きて 明日も起きる

 

目の前にあること

なぜそれを選んだの?

選んだのは誰?

誰のせいにもできない

 

だってすべて

結局は

選択したのは

 

自分だった

 

 

mugiho

 

 

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌

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インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌 (2013)

監督・脚本: ジョエル・コーエンイーサン・コーエン
撮影 ブリュノ・デルボネル

 

その影が彼を飲み込んでいくとき。

狭い路地裏で思い切り殴られて横たわっている姿を目の当たりにして、これはハッピーな成功物語ではないと何となくだけど感じる。それでもこの映画の隅々までが自分の中に入り込んできてその青くてグレーで暗い背景はいつのまにか歌い続けるルーウィンの姿でいっぱいだった。


二人で歌ってきたのにある日突然いない。パートナーの死を未だに受け入れることができずに、記憶と過去の狭間を行き来する毎日。共に歌ってきたマイクの死についてルーウィンによって触れられるシーンはほとんどないにも関わらず彼の存在というものがあちこちに散りばめられているのはなぜだろうか。ルーウィンが歌い、その声からそして歌い続けるのは。彼の存在を少しでもどこかに感じていたいからなのか。

 

と、あるところから猫が登場する。お世話になっている教授の猫なのだがなぜかとても懐かしい。部屋から出てしまったところからルーウィンと共に行動するようになるうちに何だかいつも一緒にいたような心地よさ。猫を通して見える外の人々との繋がり。観ているとだんだんともしかしたら?という疑問を持ち始める。あるところで自分の中で「!」ひらめく。そうだ、この猫はマイクなのだと。そうだ、彼なんだ。知らないのに、見たこともなのになぜだろう。でもわかる。不器用でいつも何だか迷ってばかりでどこへ行けばいいんだろう、どうすればいいんだろう、少し頑固なんだよ、ゆっくり外の世界とつなげてくれる。そして気づけば自分も、ルーウィンとおなじくらいにマイクが恋しくて、寂しくて、そう物語の中に引きずり込まれている。

 


Oscar Isaac - Fare thee well Orignal soundtrack (Inside Llewyn Davis)

 

たった数日の間の話にも関わらず、雪が降って雨が降ってシカゴまで行って帰ってきて会わないだろうと思っていた人と再会して自分と同じように音楽と共に何とか暮らしている同志たちに会って、少しずつだけど何かが動き始めているのを感じながら始まりは最後になって、それは終わりから始まる出発という物語でそして彼は決して終わらないんだよ、歌い続けるんだ。荷物を何回投げ出されようが何度でもギターケースを開けて何度でもステージに立ち続けてそしてなんとか大丈夫なんだっていうその根拠のない自信があるから自分もとてつもなくこの作品が大好きで、諦めきれなくて結局なんとかその悲しくて楽しい記憶と生き続けていく。


その細長い廊下は彼の短くて長い旅そのもので、望遠鏡みたいに小さくて大きくて複雑に絡み合ったその心を覗き込むような旅路で、その廊下の先には音楽が待っているんだって。

 

そして、オスカー・アイザックの声が信じられない。

くらいに最高すぎてもう。はい。この通り言葉がないです。 

 

muuu

 

P.S 英語版レビューはこちら

https://mugiho.wordpress.com/2017/01/07/inside-llewyn-davis-2013/

 

メモ:この物語は実在した60年代に活躍したフォークシンガーDave Van Rockの回想録「The Mayor of MacDougal Street」からエッセンスを取り出して書かれている。ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジ、フォークの最盛期について。

グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃―デイヴ・ヴァン・ロンク回想録

 

明けました。

 

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明けました。

新年早々海へ散歩に。昨日から続く今日、年を越したのに何も

変わらずに日常が流れていたことに何でかとても感動して

海辺をいつも通りに散歩する老夫婦に海ではしゃぐ家族たちに

真っ赤に日焼けしながら本を読むおじいさんに。とても平和でした。

年が明けたなんてとても思えない今日は一年の初めの日で、これから

364日が過ぎていくんだと思うとその可能性に心が踊ったり。

 

新年の抱負、といきたいところなんですが。

何だか今年、ただただ「とんでもない一年になる」

というのしか感じることができなくて具体的にやりたいこと

成し遂げたいこと行きたい場所というのは山のようにあって

でもそれは自分のモレスキンの中にしまっておこうと。

 

目標や計画があればそれに向かって前進していけると思うかも

しれなくて、自分自身計画や目標というものが異常に好きで

いつも何かを始めるときはこれに一番時間をかけてきました。

でも今年はとても抽象的なものしか自分の中に出てこない。

それと同時に「こんな風に生きたい」という一年だけの抱負で

終わらない自分の哲学的な生き方みたいなものが欲しくて、

それを試行錯誤して見つけていくみたいな一年にしたいかも。

といま書きながらわかりました、書きながら思いついた笑

 

ブログ映画読むこと書くことこれは基本セットとして呼吸のように

自分の一部となっていくだろう一年にしたいと。あとは好きなように

生きること。ただそれだけ。自分のやりたいことをやる。行きたい場所

会いたい人たくさんあるんだから自由に飛び回るチャンスがあるんだから。

 

2017年もまた楽しく生きようね。

 

 

 

 

muuu

 

 

初zine『somewhere』

 

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一年のまとめなんかじゃ振り返れないほどにここ一年半くらい、自分にとっては激動でした。そしてその激動の中に包括されるようにして大きな停滞とか迷いというものがあってそれらは積もりに積もっていまの自分になりつつあるという感覚です。

 

だから今年が〇〇でっていう風にコンパクトにまとめることができなくて、

かと言って何も変わっていないわけではなくて、確かに変わっている。

 

そんな小さな感覚をまとめた初めてのzineをつくってみました。

つくってみたというクオリティなんかからはかけ離れていてあいにく家のプリンターが壊れてしまって(?)印刷もできない状態なのでPDFかePubのデジタル形式で読みたいという読者の方たちに配布しようと思いました。ここ一年半くらいの自分のかけらみたいなものがここに少しずつ入っているというような感じかな。

 

2016年もいい年だった。

来年はよくわからないけど「やばい」っていうゾクゾク感がしています、なぜか笑 それは明けてからのお楽しみとでも言えばいいのか。なんだか少しずつ生きるのが楽しくなってきました。感覚と嫌なくらいに向き合って見えてきたのものがある。それが微かな自信、自分の存在を信じるきっかけになっている。自分が歩く道、他者と共に歩く道、たくさんの景色が脳裏をよぎる。行きたいところには行ける。想像さえできれば。言葉の持つ力を、そして他者との関係性によって存在する自分の部分を軽視してはならない。

 

いつもこの感覚を読んでくれている方に感謝の気持ちを込めて。

 

muuu

 

 

P.S zineご希望の方にはPDFかePub形式でお送りします。下記のメールアドレスにお名前と希望フォーマット(PDF or ePubePubiBooksや一部のereaderで開けるファイル形式です)を記載してください。各自で印刷してもらう場合には「小冊子の印刷」という設定で両面印刷してもらうと表紙・裏表紙含めて24ページ構成で紙の枚数は6枚になります。綴じ方は「左」の選択をお願いします。印刷後二つ折りで中綴じで完成です。詳細は下記の参考サイトから

 

参考サイト 小冊子の印刷 (Acrobat/Adobe Reader)

 

email→somewherethere.379@gmail.com

 

 

「一瞬で集中してトップスピードに乗る術」について

 

茂木さんのツイッターに流れてきた動画を読んでいて思ったこと;

一瞬で集中してトップスピードに乗る術、それを持っていたら分野を問わず多分その集中に乗るのと同じくらいの速さで成功することができるのではないかと思った。「成功」にもたくさん定義があるので一概にこれがこうとは言えないけれど、様々な物事、分野の中で何かを成し遂げていく人や自分のゴールや行きたい場所へと飛んで行ける人たちに共通することはこれかもしれない。本人たちが意識しているかどうかはわからないが多分これが自然に身についているのではないかな。人間である限りやはり波はあるし、どうしてもだらだらしたい時や気分がいまいちな時がある。ただその中でもコンスタントに何かを出し続けられる人がプロフェッショナルである。そしてそれをやるためにはまずひとつ、それは「継続」そしてそれは茂木さんの話していた一瞬で集中する術とも深くつながってくるのだ。


 そもそも続けていくというのは一直線にまっすぐ自分のゴールへつながっているというその保証はどこにもない。むしろ未来なんて見えないことばかりで、きっとその好きとか情熱とかに向き合えば向き合うほどに何が何だか分からなくなってくる気がする。でもその見えない中でも何かしら自分の時間の欠片をその好きに費やしていく、その気持ちと意志がきっと何かにつながっていくのだと思う。

 

そしてそれをサポートするのが一瞬で集中すること。どこにいても一瞬で自分のスイッチを切り替えていけるということはどこにいても、何をしていてもどんな環境だろうがどんな人に囲まれていようが関係ないわけで、それはつまり情熱や思いというとても抽象的なものが自分の不遇な環境というものに勝つ瞬間であるわけだ。家庭の経済的状況や教育環境、そんなどうしようもないものから解放される瞬間、それがその「トップスピードの集中」というものに凝縮されているのではないか。嫌なことはたくさんあるし、言い訳なんて考えればそれこそ永遠にいつまでも言い続けることができる。でもそんな中でも今の状況をなんとかしたくて、抜け出したくて、やりたいことがあって、まだ生き続けたいと思うのならばこの集中法を自分の心の中に刻みつけてみよう。言い訳しているからにはきっとそこまでやりたくないのだよく思っていた。でもそうではないのかもしれない。集中する方法がわかるだけで、それが自分の体の中のひとつのリズムと化するだけで流れが少しずつ変わってくる。大きく何かを変えようとするから失敗するか諦めてしまうのであって、こうして日常の中の小さな集中の瞬間を意識して実践してくだけ、そうほんの数分でもいいからそれを何度も繰り返してくだけで自分の思考や頭の中の流れが変わってきて、それはきっと時間や未来、選択肢までへ派生していき生き方自体に大きく影響すると思う。


 たかが一瞬だけど、思い立った瞬間、ばん!とはいる。はいればこっちのものだ、あとは流れのままに身を任せていこう。最初は辛い。私も辛い。でも最高に気持ちがいい。この記事も一瞬で書いた。パソコンを開いた途端に書き始めて、何を書けばいいか考える暇もなく、でも数十分前に見た茂木さんのビデオを思い出しながらその間に自分の頭の中で形作られていたものを書き出した。それはほんの10分ほどの出来事で、でもこの記事は形の残る文章として自分の目の前に姿を現した。この小さな瞬間が続いていくこと、それが新たな道へつながっている気がするのです。

 

 

muuu

歴史的観点とは

 

他者との関係性について考えていた時、思い出したのが(少しだけ通っていた)大学の1学期で履修したIntroduction to Historyの授業。

 

今であまり「歴史」というジャンルに興味がなかった自分に新しい世界への入り口を示してくれたいまでも覚えている好奇心を刺激する面白い授業だった。

 

彼が最初に発した問い「歴史的観点とはどんなものなのだろうか。

教授の専門はイギリス史なのでそれらを題材にしながらあらゆるジャンルの歴史をカバーするというスタイルで一学期間授業を受けた。毎回新しい歴史の形にわくわくし次はどんな世界があるんだろうと楽しみに臨んでいた。

 

教授が始終言っていた言葉がある

  「歴史的背景からその事象をみること」

 

現在いまの自分から見るとその当時の歴史にある人々の行動はなぜこんな意味不明なことをしているのだろうか、と疑問に思うものばかりだった。それでは彼らの環境に戻ってみよう。そう言って教授が話し始めたのは当時の国のシステムだった。

 

1800年代には国の規則である門限が8時くらいでこの時間には絶対明かりを消さなければいけないとうものがあった。これによって成り立ったのがSegmented Sleep(分割睡眠)というもので近頃までのわたしたちの睡眠サイクルであった。

 

明かりを消すからには無理にでも寝ようとする。そして8時くらいから4時間ほど寝た後、真夜中に起きて活動を始めるのだ。この時間、普通に家事をしたり本を読んだりしていた。中には自分の夢を分析したりする人もいた。これによって自分と向き合う時間、自分について静かに考える時間を設けていたそうだ。現代でいう朝活みたいなものだろうか。そして2時くらいにまた眠りにつきそのまま朝の6時や7時くらいまで4時間程眠る。起きたらまたいつものように1日がはじまる。トータルで睡眠時間は健康的だし、一日の活動に支障もきたさない。むしろ、細かい自分のための自由時間を夜に回してその分昼間にはやるべき仕事に集中できるのではないか。

 

その睡眠サイクルの名残が現代の私たちの脳にも残っている人々が多くいるという。健康のために連続で8時間寝なければならない、という定説が聞かれるようになっていた社会に新しい風を吹き込んだ歴史からのメッセージ。しかもこれらの発見は歴史的証拠から解明されたもので、当時その時間に多くの人たちが自己分析のもとにつけていた日記などからわかった事実である。

 

私たちが「当たり前」だと思い込んでいる日常は、それぞれの背景によって意味づけも理解も大きく変化してくる。それは歴史という時間的なものだけではなく他者との関係性にも言えることである。それぞれの個人の背景というものによって理解されたそれぞれの事象は違う意味を持ってくるのだ。相手の理解をわかろうとしなくていい。ただ、その背景が存在していることを認めること。それによって自分の世界は広がっていくだろうし、自分×他者から創造される何かがある。それは決して自分だけではたどり着くtことのできない世界。

 

そのために歴史を学ぶのかも、と自分の中で

歴史に対する新たな意味が生まれた

 

 

mugiho

 

分割睡眠について

www.bbc.com