人間は決してお互いを理解しあうことはできない。それでも。

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わたしはわたしというのは実はあまり好きではない。

そんな風に「わたし」と「その他大勢」の間にきっちり線を引けたらいいんだけども。

 

わたしはわたしだけど同時にあなたでもあり、そのあなたの写り込むもう一人の君であり、それはまた鏡を見つめ返すわたしの目。

 

わたしの大きなポリシー、人間との関係の基本中の基本は:

「人間は決してお互いを理解しあうことはできない」というもの。

 

これは決して悲観ではなく、矛盾でもなく。

これがあるからこそわたしたちは喘ぎながら芸術を生み出し、言葉を吐き出し、どうにかしてこの愛を向こう側に渡そうと必死になる。書かれた手紙も、描かれた愛の色もすべてはそれらを生み出した人間「だけ」がみていた世界にすぎないんだけども、こんなにもわたしたちの心をかき乱すのはなぜ?

 

どこかに流れている、川の流れが、小さなせせらぎが交差する場所。

そこにたどり着いた者たちは、一瞬かもしれないけれどこの瞬間の洗礼を受ける。

 

あ、わたしその感覚知ってる!

言葉が「わたし」がみていた感覚、世界、色味を描き出す時。

なぜ?どうして?どうやって?って聞きたくなる。

 

共感ではなく。理解でもなく。

まったく違うふたつの世界がふわっとひとつの空間に包み込まれるとき。

違う目を通して同じ世界を見ていて、同じ世界なんだけど違う世界でもあるんだっていうその認識がお互いにできるだけでわたしはずっとこの人と世界を見続けていたいと思うんだ。

 

 

mugiho

 

人間感情バロメーター

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自分の気持ちを自分で理解することはとても難しい。

あまり客観的に眺めすぎると自分が本当に感じていることを見落としてしまう。あとで結構痛い目に遭う。

 

あれ、わたしって?何?こんなこと思っていたの?考えていたの?って自分っていうものがとても簡単にわからなくなってしまう。

 

ときには自分の周りにいる人間が心の鏡になる。

人ってどんなに鈍いと言われる人でも無意識では結構敏感だと思っていて、だからわからないところで密かに相手の雰囲気とか感情っていうものをキャッチしている。

 

会ってなんとなく好きとか嫌いとか面白いとか知りたいとか怖いとかっていう感覚はすべてきっとその瞬間の相手の心模様であり同時に自分の心模様でもある。

 

ふたつの違う心がひとつの場所で雨宿りして(無理矢理)会話させられているみたいな感じかな。嫌でも気にしてしまう隣に立つ人の空気感。

 

相手すべてを定義する何かではないけ初めて会った時の感覚とか印象って大事。やっぱりその後の大きなベースになるよね。そこで結構決まっちゃうっていうのもある。見た目とか言動じゃなくてその前に宿る雰囲気。感じ。ああ好き。

 

だから人と会うっていう行為は同時に自分を知ることにつながっているということになるんだね。相手は自分の鏡で自分は相手の鏡。ああわたしは元気ないんだな。嬉しいんだな。そうか。そうか。少しずつわかっていく感覚。ああでもあまり客観的になってしまってはダメだね。嬉しい。楽しい。好き。嫌い。

ただそれだけ。

 

なんだか面白い縁があってこうして目の前に立っている人なんだよ。どんな確率だろう。このすべての出会い。朝の通勤で同じバスに乗る人。通りですれ違う人。レジの担当。何かしらの運命だねっていつもひとりで心の中で呟いている。

 

嫌だなと思う人が来たら「自分よ〜最近どうしてる?元気?大丈夫?」って聞いてみる。

 

楽しいな好きだなって思う人が現れたら「はああ幸せ嬉しい」ってひとりでホクホクしている。

 

人間は人間の感情バロメーターなのでした。

 

 

mugiho

耳を澄ませば

 

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はじめまして

春です

はるばる地球の反対側からやってきました

 

こくこくと小さな足音を立てて

目を覚ませば陽の光が少しだけ柔らかくなっていて、

窓を開ければ冷たい風の先っぽに花の香りが漂っている

  

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わたしはこの国で3回目の春を迎えようとしている

生まれも育ちも年数で言えば圧倒的に日本の方が長いのにわたしの根底に流れているのは見たこともない国々の囁く声 どんな新しい場所へ行ってもどこか懐かしい感じがするのなぜだろう

 

季節が変わるのは世界中同じことでわたしの感覚に張り付いているこの懐古の存在もきっとそれらの普遍的要素のひとつなのだろう

 

風になりたいと願ったこともあったな

 

そんなわたしの頬にそうだよ、覚えてないの?

と絡んでくる春の風の愛おしいことといったら

 

mugiho

 

空っぽの朝

 

明日がもっと静かになったらいいのに
もう誰も起きない 誰もカーテンを開けない朝

日差しはひとりで空っぽの街に降り注ぎ
窓の開かない箱みたいな家たちは本当に箱になってしまう

心臓は静かに動いているけどそれはとてもゆっくりで
微かに鼓動は感じられるけど生きていると言うほどではない
でもまだ口元に耳を当てると囁きみたいな呼吸が聞こえるから

これは死ではない
生きていないけど死んでもない

そんな狭間に存在する人間たちは存在しているんだけどもういない
風と踊ることもなければ歌を歌うこともない
愛しているよと隣に横たわる人に言うこともなければ
憎んでいる人を殺めることもない

信号はひとりで勝手に青になったり赤になったり
でもその道路を通る車はどこにもいなくて

みんな、この地を去ってしまったみたい
まだいるんだけどね
もういないみたい


mugiho

 

わたしの願うこと

こんばんは。
戻ってきました。
七夕の夜に言葉と再会できました。

 

この数ヶ月という短いような長いような時間の間にたくさんのことが起こりました。

 

もうすぐ2年になる職場に辞職届を出し、異国の地での初めての転職活動に励み、精神ズタボロになりながらいろいろなところに面接に行って話す術を学び、なんとか良さそう決まったと思ったところから肩透かしを食い、職探しを再開して、やっと就職先が決まり、その途上でひとつ大きな目標が自分の中に立ち上がり、新しい家に引っ越しました。初めての他人との共同生活を始めました。22年間、20回以上共に新しい土地と家で暮らしを始めた家族と初めて離れました。

 

帰る場所がなくなり、心の拠り所である友たちが次々とこの地を去っていく。

 

街並みはいつの間にかオレンジと赤に彩られ、

そして朝晩は濃い霧に覆われ、

窓にはびっしりと水滴のつく冬という季節に突入した。

 

新しい暮らしと環境に慣れるのに必死な自分と、見慣れた風景や会話が流れていくのが寂しい。心が揺れるなんて生易しいものじゃない。まるで毎日台風と豪雨が襲ってくるみたいな心臓の鼓動。それでも平静を装っている。なんとか日々を生きている。朝起きて、隣の部屋の住人たちと当たり障りのない会話をして休みの日には本を読んで、言葉を綴り続けている。大きく変わったものと残ったものたち。

 

明日、いまの職場での仕事納めとなる。

この地に来て初めての職場で、学校に行きながら雨の日も晴れの日も懸命に通った。ものすごい体調を崩して1週間熱が下がらなかったり、あまりのストレスで心身ともに病みに病んだ場所。結構なきつい言葉を平気で投げてくる同僚たちに対してだんだんと耐性をつけて、よくわからない理由をするする引きずりながらわたしはここまで来てしまった。もちろん勉強になったこともたくさんあったし、すべてが無駄だったとは言わない。でももう少し早くこの場所から離れることができていたらわたしはここまで朝を疎むこともなかっただろうに、とも思ってしまう。だから明日を迎えることにホッとしているというのが正直なところ。そしてその先に見えている未来の微かな輪郭に目を凝らしている。

 

終わりはいつも何かの始まりであるのはわたしが一番よく知っているんだけど、

次の始まりはこの人生の中でかなり大きな章の始まりかもしれない。

 

一緒に読んでくれる人がいることはなんて幸せなんだろうって。
願うことはただひとつ。

みんなが伝えたいことを伝えたい人に伝えられますように。

書き続けます。

 

mugiho

 

 

 

 

 

音とその作り手の人間が自分の一部になる時

きれいに録音された曲を何万回も再生できる物質が存在するこの世界に生まれたわたしは本当に最近までライブというものに行ったことがなかった。

 

22年間生きてきて昨年の1月に初めてのライブに行った。ずっと好きだったPassengerのライブだ。会場に溢れかえるエネルギー。目の前のステージに立ち歌い続ける彼から発せられる魔法みたいななにかに全身が釘付けになってしまった。

 

今月のあたまに初めて野外フェスというものに行った。

心から愛しすぎていたOh Wonderが目の前で踊り歌っていた夏の午後四時。

わたしの世界はまた違う方向へ思い切り引っ張られていった。

東京の夜の街の中、泣きそうになりながら何度も再生した曲が目の前で、そしてステージを囲む人間たちが多数、一緒になって歌っている。あの時、苦しかったネオンの下での記憶に。そして二人から溢れんばかりに滲み出てくる愛に。わたしの隣で大好きだよと叫ぶおじさんからの愛に。わたしはその場所の空気と一体になっていた。

 

初めてひとりで行ったライブ。Lauvは記憶から引っ張ってきた愛に対するもどかしさや切なさで空間を一杯に満たしていく。彼の心の色が声と彼自身の存在を通じてわたしの中にこだましてくる。

 

Vance Joyほど愛に満ちた人はいないだろう。

ギター一本で小さいライブハウスのステージに立つ。

あんなにも一気に有名になったにも関わらずバーでのopen mic nightでの時に記憶を忘れない。その時に即興でつくった曲が彼のアルバムの中におさめられている。温かい目線とチャーミングな笑顔で空間になんとも言えない心地良さを撒いていく。一本一本の弦から紡がれる音はよく響いた。とても繊細で美しかった。

 

これらの音楽は手元にあるこの電話のスイッチを入れてイヤフォンをさせばまたいつでも聴ける。

 

それなのに。

 

彼らが目の前で歌う姿を目の当たりにするのはその音の裏にある彼らの見た景色や感じた世界を自分の世界の一部にしていくことなのかな。

 

 

mugiho