ディン・Q・レ展 にて
戦争と向き合うなんてことはできないかもしれないけどその記憶を少しでも
繋げていく役目は私たちにもできる気がするんだ。その時代に、その瞬間を
生きていなかった私たちにはわからないその世界の恐怖。それは知らないこそ
いいのか、それとも同じ過ちを起こしてしまうから悪いのか。それはわからない。
ただあるのはあるべき命が奪われてしまったこと。
囲まれるべき家族の食卓がなくなってしまったこと。大切な人が、愛する人が
戦争という大きな権力と暴走する人間の欲望によって消えてしまったこと。
そこにあるのは大勢の奪われるべきではなかった命が一瞬にしてなくなった
という事実。そこにあるのは生き延びるためにあらゆる手段を使った人々。
もうそこには善悪の判断というものはない。本能的に生きようとするその思い。
それにひたすら駆られて生き延びた人たちとその記憶。
私たちにいまできることはそれを彼らの目を通してみること。
そしていまの私たちの目を通して未来の子供達にみせていくこと。
起こるのは一瞬。忘れるのも一瞬。結局終わったことは、いま目の前にある
現実という手応えのあるものに比べたらちっぽけで儚くてそれこそ霞である。
だからこそこれをどこまでも伝えていくことを怠ってはいけない。
すべてをなんらかの形でこうして記録していくんだ。そんな思いや叫びが
作品ひとつひとつからきこえてきた気がして怖くなって鳥肌がたって、
そしていまの私たちの日本の情勢というものがどれだけ危ないとこにある
のかということがすごくリアルに自分に襲いかかってきて殴られたような
意識の衝撃を受けた。いまだからこそみるんだ。目を逸らさずにその叫びと
対峙しこれからどうありたいのかということをひとりひとりが考えて、行動
していくだけで物事は変わる。社会という集合体だからこそあり得る規模の
大きさや強さは人のために正しい方向へと進んだ時、それはすごい力になる。
まだまだ勉強不足で社会のことなんて何にも理解していない若者が言える
ことではないけども、物事はもっとシンプルに考えてみてみいい気もする。
自分のわかる範囲で調べて考えてっていうプロセスを経たものならばそれは
その個人の価値が凝縮された強い思いになる。いくら周りの運動が一見いい
方向へいくものであってもやみくもに流されることはもうやめよう。
自分のできる範囲でいいから手を伸ばして探り、疑問を持ち、好奇心を持ち、
未来への希望を持ちながら考え続けよう。考えて動いて自分の目で確かめよう。
より良い未来を夢みて。
muuu