不確かな世界へ

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nobody's heart it perfect

 

伝わる世界はなんて狭くて嘘っぱちなんだろ。

思いがそのまま隣に伝染しているのではないかと疑うくらいに自分の内から溢れ出ていても、それを言葉という媒体に落とし込んだ瞬間、そこにあった思いとか見えなくてふわふわしていて、でも確かに存在していた浮遊物は一気に姿を消してしまう。

 

そんな出来事を何度も経験するうちに私はあまり言葉を発しなくなった。

朝露みたいに消えていくそれらの感情の色や空気を眺めていたらこうして毎日生きていることがなんて切ない営みなんだろうというかき乱されるような何かが心臓から手足まで広がっていく。

 

消えてしまうのが怖いのか。

それとも言葉にした瞬間にそれが何か固定の確実なものとして、どちらかというと物質としての質感をもった風にこの世界にどん、と居座るのが嫌なのか。

 

言葉の世界と向き合えば向き合うほどに孤独になっていくような気がしている。とりあえず空を眺めよう。いままで書くことばかりに専念していたのをひたすら眺める時間に費やすようになった。空間に穴があいてしまうのではないかと心配になるほどじーっと見つめているとそのまま一周して自分の背中にジリジリとその視線がのめり込んでくる。

 

結局はそういうことなのか。

私は自分を見ていて、怖いほどに感じる外の視線は実は自分の視線で、言葉にして消え去る世界には私の影が生きているのか。だからか?こんなに言葉の世界を信じられなくなったのは。

 

風が小さな洋服の繊維の穴を通り抜けて直接肌に突き刺さってくる。

痛い。秋になると熱というバリアが剥がれ落ちてすべてがむき出しになる。

小さくて微かにしか響の聞こえないこの心臓とか。

たくさんの真っ赤な線のはいった手の甲とか。

 

袖の中に手を隠し入れながら少しでもその隙間を埋めようと耳の中でこだましている音に集中する。

 

 

続く

 

 

mugiho

書くことの根源=言葉とは 『言葉が鍛えられる場所』平川克美

 

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書くことって何なのかな。

ブログを書くことって。人の目につく場所に自分の言葉を散らすことは何を意味していて、自分はそれを通して何をしたくてどこへ行きたくて、今日も明日も昨日もすべて言葉で表してしまえると思っていることは、結局は言葉なんかでは到底到達できないところにある。

 

 そんなことを思い悩む日々。

『言葉が鍛えられる場所』平川克美を読み終えた。

終わった時の心の平穏さといったら。これを読んでしまった私はこれから言葉とどう向き合っていけばいいのだろう、という問い自体に何か書くことの意味が伺えるような気になった。

たった18章しかないのに、この中には著者が歩いた言葉の道が、その足跡がくっきりと刻まれていて私はそれを辿るだけの旅人なのだが見える風景に圧倒される。言葉はこんなにも遠く離れた場所にあって、そして何かを言いたくて言いたくてたまらない時になんて無力で、それでもその言葉を紡いでいこうという覚悟を持つ者たち。死者たちの代弁者。日本にはこんな言葉にならない言葉を書く人々がいたのかと感動する。

 

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雨が降るとき

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まず、朝焼けがとても綺麗。

朝6 時半に玄関を開けて、ふたつめのドアの先に日の出の方向が見えるのだけど、空が真っ赤に染まっている。ピンク。紫とグレーが混ざっている。太陽自身は見えない。街への橋を渡るときに左手に広がっている海はいつもよりとても明るくて、そして暗い。真っ黒に見えるんだけど、分厚い雲のすきまから漏れ出した太陽の光が左前方に見えるビルに反射して、それが水面に映る。そうするとそこだけが照らされて、それ以外の周りの空間はますます暗闇に沈んでいく。

 

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