不確かな世界へ 2

 

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2

聞こうとすればするほどの聞こえなくなるのはなぜ。

一方で聞きたいと願う音や情景や情報が一気に駆け巡るのは?

 

過ぎ去っていく人々の顔を認識しようと私は地面の影を見つめていた顔を上げてほとんど上を向いたような状態で歩く。果たして、これで人の何にかが読めるとでもいうのか。言葉さえもまともに人に理解されないのだから人の顔からなんて何がわかるんだと言いたくなる。その気持ちはよくわかる。いまもなお。

 

ぼんやりと歩くとはこのことを言うのだ。

そのまま道端の足首より少し上までくらいの花壇に足をぶつける。擦りむく。滲んでくる深紅色に魅せられて私は動けなくなった。

 

自分の体を駆け巡るものの中にこんなにも鮮やかな色があるとは。

もしかしたらそのためだけに血はこんなにも赤いのだろうか。

そんなことを思いながら、まだ目が覚めないまま嘘の言葉で固められた東京の夜を歩く。そこら中にギラギラしている言葉たちには手段以外のなんの意味もない。そう言ってしまう全てに意味がない。つまり私たち始まりから既に尽くしてしまっているのだ。

 

道ゆく人々って何を考えているのか。

この中に少しでも忘れ去られていく記憶に少しでも何か思う人はいるのか。

 

心が叫びたくなるのは秋。

昨年の冬から着すぎてひとまわり伸びてしまったセーターの首元を近くに引っ張って少しでも目で見える箇所を埋め尽くそうとする。やけに足音が響くと思いながら立ち止まって靴の裏を見ると真っ青な何かが小さな溝の間に埋まっている。近くにあった小枝を拾って青を取り除く。それはなんとも言えない爽快な響きを抱えて灰色のコンクリートの上に転がり落ちた。周りに人がいないのを確認して急いでそれを拾いに行くと今度は青くないのだ。透明でかすかに先ほどの青で濁っているような気もしなくない。誰かの目だ。ふとそう思ったのはなぜかわからないのに妙な確信を帯び始めたその思いはいつの間にか私の中で事実となっていた。そしてそのとても妙な事実を変だともなんとも思わない自分。一瞬でその目につかまれてしまった。

 

 

mugiho

 

不確かな世界へ

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nobody's heart it perfect

 

伝わる世界はなんて狭くて嘘っぱちなんだろ。

思いがそのまま隣に伝染しているのではないかと疑うくらいに自分の内から溢れ出ていても、それを言葉という媒体に落とし込んだ瞬間、そこにあった思いとか見えなくてふわふわしていて、でも確かに存在していた浮遊物は一気に姿を消してしまう。

 

そんな出来事を何度も経験するうちに私はあまり言葉を発しなくなった。

朝露みたいに消えていくそれらの感情の色や空気を眺めていたらこうして毎日生きていることがなんて切ない営みなんだろうというかき乱されるような何かが心臓から手足まで広がっていく。

 

消えてしまうのが怖いのか。

それとも言葉にした瞬間にそれが何か固定の確実なものとして、どちらかというと物質としての質感をもった風にこの世界にどん、と居座るのが嫌なのか。

 

言葉の世界と向き合えば向き合うほどに孤独になっていくような気がしている。とりあえず空を眺めよう。いままで書くことばかりに専念していたのをひたすら眺める時間に費やすようになった。空間に穴があいてしまうのではないかと心配になるほどじーっと見つめているとそのまま一周して自分の背中にジリジリとその視線がのめり込んでくる。

 

結局はそういうことなのか。

私は自分を見ていて、怖いほどに感じる外の視線は実は自分の視線で、言葉にして消え去る世界には私の影が生きているのか。だからか?こんなに言葉の世界を信じられなくなったのは。

 

風が小さな洋服の繊維の穴を通り抜けて直接肌に突き刺さってくる。

痛い。秋になると熱というバリアが剥がれ落ちてすべてがむき出しになる。

小さくて微かにしか響の聞こえないこの心臓とか。

たくさんの真っ赤な線のはいった手の甲とか。

 

袖の中に手を隠し入れながら少しでもその隙間を埋めようと耳の中でこだましている音に集中する。

 

 

続く

 

 

mugiho

書くことの根源=言葉とは 『言葉が鍛えられる場所』平川克美

 

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書くことって何なのかな。

ブログを書くことって。人の目につく場所に自分の言葉を散らすことは何を意味していて、自分はそれを通して何をしたくてどこへ行きたくて、今日も明日も昨日もすべて言葉で表してしまえると思っていることは、結局は言葉なんかでは到底到達できないところにある。

 

 そんなことを思い悩む日々。

『言葉が鍛えられる場所』平川克美を読み終えた。

終わった時の心の平穏さといったら。これを読んでしまった私はこれから言葉とどう向き合っていけばいいのだろう、という問い自体に何か書くことの意味が伺えるような気になった。

たった18章しかないのに、この中には著者が歩いた言葉の道が、その足跡がくっきりと刻まれていて私はそれを辿るだけの旅人なのだが見える風景に圧倒される。言葉はこんなにも遠く離れた場所にあって、そして何かを言いたくて言いたくてたまらない時になんて無力で、それでもその言葉を紡いでいこうという覚悟を持つ者たち。死者たちの代弁者。日本にはこんな言葉にならない言葉を書く人々がいたのかと感動する。

 

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