本当に言いたいことは別れる時に浮かんでくる

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もしかしたらわたしは、一見書きたいことばかり書いてきたように見えて、本当に言いたいこととか、書きたいことを書いてこなかったのかもしれない。

 

自分で言うのもだけど、結構我慢強い方だと思う。 引っ越しも転校も信じられないくらいに繰り返しながらなんだかんだ、新しい生活に慣れようと、自分なりに工夫をして、色々と言えない思いとか惨めさとかに耐えてなんとかやってきたって言う小さな自負がある。

 

書くことに関しても、最初は学校のカリキュラムで単位のために書かなければいけないと言うところか始まっているから、決して自発的なものではないのだ。 ある程度をうまく点数が取れるように書き換え、妥協した部分も今思えば結構あった。何しろ時間と単位数との戦いだったのだから、と今になって色々言い訳もできるが。

 

考え始めると、確かに、私は書きたいことを書いてこなかったんじゃないかと思う。真っ黒の手帳とワードとブログのこの三カ所に書かれた文章が、少しずつズレているのだ。なんだ、この不調和は。

 

書き始めている時点で、自分の中にある分析フィルターと考えモードを通過している。直接的な心のうちと正面から対面できないみたいだ。私のモレスキンはいつも“I”で始まって、気づけば“you”になっていることが多い。いつの間にか「私」は「あなた」になっていて、自分ともう一人の自分が現れる。

 

客観視といえば聞こえはいいかもしれないが、ときとしてこれはただの現実逃避にしかなり得ない。分析や気持ちの整理という名目で「わたし」が直接的に「わたし」として感じようとしている感情とか想いに蓋をしようとしているのではないのか。

 

昨日、好きだった人と別れた。

その話をしたときも、心と頭がバラバラに動いていた。何がどううまくいかなったのか、さて距離感を間違えたか、そもそもなぜ友達のままでいなかったのか。頭の中で答えを求めて考え始めていた。いや、正確には付き合い始めた時からだった。常に「好き」という意味とか定義についてすごく考えていて、目の前にある感情とまともに向き合えていなかった。だから別れる時も何も感じられなくて、わたしはこの数ヶ月間一体何を見ていたのだろうと、その空白が悲しかった。虚しかった。

 

いざ別れるとなると言いたかったこととか聞きたかったことが一気に浮かんでくるんだけど、でももうそんな時間も気力もないからただのさようならで終わる。本当に言いたいことはきっと、すべてが終わるときにやってくる。

 

またしてもわたしは言葉を飲み込んだ。

 

好きな映画とか音楽とか小説については語り合えても、それはいつも心の語り合いにつながっていくとは限らないのだ、と妙な納得が残った。それがうまく重なる時もあるし、それだけのつながりになることもある。

 

とてもあっさり終わった秋冬の恋は、でも楽しかった。

月の下を、夜の街を秋の風を浴びながら歩き回ったあの感覚はたぶんずっと忘れないだろうし、冬の海は真っ黒で、夕方の光は柔らかかった。

 

わたしの書いてこなかった本音はたぶん、いつも「風」とか「空気」とか見えない自然の中の「感覚」たちによって支えられて、表現されてきたのかもしれない。

 

これから、それを言葉につなげていくよ。

わたしは言いたいことしか、言わない。

書きたいことしか、書かない。

 

九月、春がきた。

 

 

mugiho