帰ってくる場所がないままにこうして21年を過ごしてきて、
自分の後ろに残ったものとは。
毎年のように住む場所が変わり、学校が変わり、生活が変わるのが当たり前な人生を生きてきた。気づけば微妙な期間しかいなかったその場所に自分の居場所はなくて、「帰る」というほどの親密さもなければそこへの縛りもない。
ある意味では自由なのかもしれないが、自分は常に、
どこか心が帰れる物理的な場所を求めていた。
それはとても寂しい体験だった。
時間というものに、私は決して勝つことができない。
そんな絶望を抱き始めたのは、たぶん、気ままでどこへもたどり着かない、
他愛もない会話や非生産的な時間に憧れ始めた十代の頃。
昔の失敗を引っ張り出してきて訳も分からなく笑ったり、あの時、
誰が、なにした、どうした。私の耳にはすべてが理解できない言語だった。
とても孤独だった。
新しい場所から始める困難よりも、
こたえたのは帰れない、ただそれだけだった。
怖かった。
自分がどこかでつまずいて、その場所から離れないといけなくて、逃げないといけない時に、私はどこへ向かえばいいのだろうかと、眠れない夜、飛び立てない恐怖。
自分とは何か、そんな定義を模索するあの頃に(いまも尚)いろいろな項目が加味されるわけだが、自分の帰れる場所というのは私の中では大きな割合を占めていた。
そんな不安定さを持ったまま、私は21になった。
時間を重ねて、こうして物理的に動き続けた自分の人生の地図をいまこうして眺めてみると、ある感覚が降ってくる。それは訪れたすべての場所への愛。
雨が多かった。
乾燥した砂漠みたいな大地。
凍った道路と体の芯から冷え込む寒さ。
燃えるような夕焼け。
どこまでも続いてく海。
端っこが見える東京という街。
夜の光はネオンだったり、星だったり、
あまりにも眩しい月明かりだったり暗闇だったり。
聞こえるのは虫や鳥の声、車のクラクションだったり、波の音だったり。
言葉たちは、不思議なイントネーションと、まったく違う言語と、
大きな声、柔らかい口調、すべてが混ざり合う無秩序な音の渦。
淵に立ち続ける孤独、それは私をつくりあげた。
帰る場所は、訪れた場所すべて。
それはいま、私というひとりの人間の中に
ひとつの大陸となって、そこが帰る場所。
mugiho