時間に置いていかれる恐怖

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時間に置いて行かれるのが怖い。

永遠に続くと思っていた小学生の頃の夏休みとか。

進路について希望を迫られる(それってそもそも希望なの?)と

選択にかける時間というものがもう残りわずかなことに気づくときとか。

怖くて怖くて走り続けて来たけど時々ふと立ち止まってみて、

ああ自分はまだこんなところまでしか来ていないじゃないかという絶望。

 

 

時間は平等だというけれど、それは生まれた育った環境とかそれぞれの

バックグラウンド、暮らしによって大きく変わってくると思う。

つまり時間は平等なんだからそれは個人の選択や意識の問題だという人たちは

自分たちは元々時間を自由に動かせる場所に立っていて、そこから暮らしの

ためだけに働いてそこから倒れるように眠るその他大勢とはまた違うということ。

 

その恐怖とどう向き合っていけばいいのだろう。

概念だけである時間なのに、なんでこんなにもすべてを握っているのか。

ここ最近は自分がこうして選択してきたことがどうしても

間違っているかのような気しかしなくて、この落ち続けていく心を

どうすればいいのかともがき続けている。

 

時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。

『モモ』ミヒャエル・エンデ

 

こんな風な時間の概念を世界中に塗りたくりたい。

なによりも自分自身に。

 

 

mugiho