「どうしたらできるだろうか?」という問いを持ち続けること

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自分でどうしようもないって思うようなことが次々と起こってくると

そのことを考えているだけで心がどんどん吸い込まれていくみたいに

なにも手につかなくなっていくっていう悪循環を昨年は何度も何度も

繰り返していてそれをいくら悩んでも拉致が明かないのはわかっている

のにどうしようもない。ただただ焦燥感と恐怖に突き動かされる毎日。

 

正直に言うといまも多分その時期と状況に関しては殆ど変化していない。

でもひとつだけ大きく変わったことはある。それは自分の受け止め方。

悩み飽きたのか、なんなのかは知らないけど、いまひたすら思うことは

そして意識的に思考を持っていく方向は「どうしたらできるだろうか」

 

悩むというのはあまりにも張り過ぎていた糸を緩めるのにはとても役に立つし、

実際自分もつい最近まではそんな風にしていた。でもそこにずっと留まっていても

決して前へ進めないことは薄々感づきながらもなんだか居心地がよくなりつつある

その「悩む」という殻に閉じこもっていた。それでもその状況が自動的に解決される

という奇跡も起きないままただ時間だけが過ぎていった。悩んでいた時と同時に存在

していた焦燥感と恐怖は自分と向かい合っていた「時間」に対するものだった。

 

2016年に入って、自分はいくつかの決断をしようと思った。

大学にはまだ在籍しているわけだけども、正直本当に今の大学にこのまま行き続ける

ことによって自分が得るものややりたいこと、学びたいことがない。それに加えて

私立である以上学費もかかるのにそんな構え方のままのんびりと手じゃないけど

行けない。本心としてはとても学びたい大学があるのだが、そこへ行くための手段

として少し遠回りになるかもしれないけど、その国の専門学校へ行くことに決めた。

学校の年数も学費も留学生として行く大学とは比べ物にならないくらいに安く済む。

手に職も付く、自分の興味のあった分野でもある。仕方なしに行くと最初は思って

いたのが、いまはただ単に順番が前後しただけだと思っている。現在はそのための

学費や手続きをなんとかして成り立たせようといろいろ当たっているという感じ。

 

これはただ悩んでいてはできなかった。

高校卒業後、日本の大学へ進学することになったとき向こうの大学の学費が

払えないがゆえに行けないと嘆いて人のせいにしていた。でも誰かを責めたって

悩んだってなにも始まらないのに今頃ながらもやっと気づいたのだ。(遅い笑)

でもそのおかげで辿り着いたこの結論に自分は胸を張って言えるし、乗り越えて

いける。これからなにが待っているのかわからないけど変な自信がある。

 

世界はまだまだ広いし、たくさんの未知で溢れていることを忘れてはならない。

それを見ずに諦めて現状に留まるわけにはいかないんだよ。私はもっともっと

自由に生きたいし、好きな所へ自分の足で歩いていきたいし、家族のために

もっと支えになりたいし、好きなことを言って、好きなものを食べて、

好きな本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、そして自分でも創りたい。

 

手段であるのと同時に、これは自分の作り上げる未来という人生。

まだまだこれからやってくる挑戦。それを「どうしたら可能になるか?」

「どんな方法でアプローチしていけば解決する?」「どうしたらできる?」

 

その問いをいつも心に。

 

 

muuu