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【BOOKS】『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子

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『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子

 

「ひとそろいの実感も手応えもあるから、混乱するのね。

でも信じきれない。だからいったいこれはなんなんだろうって、

何か思ったり感じたりするたびに、そんなあほみたいなことを

思うのよ。感情みたいなのが動くたびに、白々しい気持ちと自分が

何かに乗っ取られてるような気持ちになって---気がついていなかった

だけで、じつは物心ついた時からわたしが生きてきたって思いこんで

いるものは、しょせんそんなものだったんじゃないのかって、まぁ

そんなふうに感じるってことなのよ」   わたしは肯いた。

 

久しぶりに夜のつめたさをあびたみたいだ。

その言葉は、どこまでも本物で、どこにでも転がっているようなシンプルな

単語の数々なのになんでこんなにも身体中に染み込んでくるんだろう。

 

思えば、彼女の作品を初めて読んだ時もそうだった。

『ヘヴン』はとてつもなく、儚くて苦しい物語だった。でもそれが、

いつまでもねとねと張り付く嫌な感じではないのはなぜだろうか。

爽やかっていうことばでもない、もっと研ぎ澄まされたかんじ。

空気や自分を包み込む雰囲気にそのまますっと入り込んできた。

異物排除の警報も鳴らなければ、クシャミも出なかった。

ごく普通に、当たり前みたいに、気付いたらそこにあって、私はその苦しみと

小さな幸福とどきどきと、すべての少しを自分の中に取り込んでいた。

 

34歳のフリーの校閲者として働いている冬子は人と関わるのが苦手で、

ぼーっとした人生を生きていた。(自分でそう思っているらしい)

たまに電話や仕事の関係でやりとりする気の強い聖とこれもまた、

ごくたまに現れる冬子の過去の人々。そして、出会うはずなかったのに、

出会ってしまった三束さん。カルチャースクールで講座は受けられなかったけど、

彼に出会えた。毎週木曜日の午後に喫茶店で交わす他愛もない会話の数々は

この大きな大きな宇宙とか地球とかの中ではもう本当に本当に小さくて、

それこそ規模からしたらクォークみたいな感じなのかも。

それでも冬子は彼をすきになる。その時に自分を駆け巡る未知の感情の数々。

これはなんだろう。必死になってそれらをどうにかしようとする冬子。

頭が痛くて、体が重くて、とにかく眠い冬の季節。

そして、少しずつ彼女の世界は開けていく。

 

まず思ったのが、冬子の人柄について。

ずっと周りに流されて生きてきた。ぼーっとしていて、いつも人の口から

出てくる言葉に肯いている。自分から物事に関わっていくような度胸も勇気も

なくって、人見知りで口下手な冬子。それなのに、ふと気づけば彼女に思い切り

ビシッと叩かれているのだ。なんだ、この不思議な人は。誰だ。何を考えている?

 

よく読めば、彼女は誰よりもしっかり自分を生きているよ。

少なくとも読み終えた時にはそんな風に、とても清々しい気持ちで、

明日の自分にもほんの少しだけ希望を持てた。ありがとう。

彼女のぼーっとしたような性格?人格?人柄?があるおかげで、

彼女は誰よりも強かった。そこには無駄な競い合いとか、駆け引きとか、

嫉妬ととか外へ対する無駄エネルギーの消費が一切なかった。

とてもとてもシンプルだった。だからこそ、そこに「すき」の感情が

芽生えてくる過程とか、聖に対してバシッと言ってしまうとき、

読んでいる私もハッとさせられるのだった。

 

でもだからと言って、冬子が何も感情もない空っぽでつまらない人間なのかと

言われれば私はそれに強く反論する。誰よりも一番複雑でどうしようもない

感情の波に飲み込まれて、溺れ掛けているのは彼女なのだから。

繊細で、とても真っ直ぐな彼女から出てくる言葉は拙くて、ゆっくりで

(ごめん、私にはちょっと遅い笑)、ひとつひとつを噛み締めていくみたい。

だからこそ聞く側も耳を澄まそうとするのかな。わからないけど。

 

自分はこんな風な感覚をあまり持ったことはなくて、そんな風に時間が

過ぎ去っていくことに常に後ろから追われているような忙しなさから

逃れることができない。人物でいうと思っていることや態度や気持ちは

聖に似ているのかもしれない。だからこそその対照みたいな冬子の心の中は

とても新鮮で全く違う世界を覗いているみたいで、逆にどっぷり入り込んだ。

 

自分がその中にいる感覚っていうのは一度外に出てみないとわからないように、

外から入ってくるからこそわかることもあるんだなと思った。

 

それなのに、冬子が感じるとてつもない緊張とか、人混みの中にひとりで

ポツンと佇んでいるようなその背中の気持ちは気持ち悪いほどのよくわかって、

夜の空気とか、影や光のことばの映り方とかはぞくぞくするほど美しくて、

うなずいて、唸ってしまうのだった。

 

小説家はすごく多くの人に語りかけることができるんだな。っていうのを

すごく感じた。ここずっと小説ばかり読んでいたけど、最初はうーんと

思っていてもどこかしら一箇所、「ここだ!」って思えるところがある。

 

うん、やっぱりすごいな。

 

 

動くものと動かないもののあいだを満たしてゆくインクのような夜の濃さを、

わたしはコーヒーカップに唇をつけたまま、ぼんやりと眺めていた。

 

 

 

muuu

 

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)