本と出会う「タイミング」:宇宙へ飛び立つきっかけ

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本には「出会い」と同じ概念がるあると自分は思っている。

いまこうして私の背にある本棚には50冊以上の積ん読が眠っているわけだが、

それは無駄遣いでもなんでもない。こうして書くとまるで自分の積ん読

そのままであることを正当化しようとしているかのように聞こえるかもしれない。

 

 

本にはタイミングというものがあるんだなと自分の中に残る本に出会う度に思う。

そして、その時たまたま読みたいとかあ、これは手元に欲しいと思って購入する

本にはいつか必ず自分の人生のどこかで開かれることがあるのだと私は考える。

 

高校時代に読んだ本に村山斉さんの『宇宙はなにでできているのか』

という新書があるが、これは実は読もうとして三度以上挫折していた。

その頃、日本の高校で理系を選択し工学部志望で物理をとっていたのにも関わらず

私は本当に物理ができなかった。(いまも本当に不思議なくらいにできないのだが)

もうそれは面白いくらいで、クラスでは40人中3人くらいしか残らない小テストの

追試を受けるし、本当にもうやめようかと真剣に悩みながら物理がどんどん嫌いに

なっていた。その頃ちょうどニュージーランドへの留学準備も同時進行中で

向こうの学校での科目選択に迷っていた。もちろん大学も向こうで行く気だったので

いま履修してる科目をそのまま継続した方がいままでが無駄にならないとのこと。

 

それで理系科目ばかりだからそれをそのまま取ればいいいわけなんだけど、

とてもじゃないけどこの私が物理どころか英語もままならないのにそれを

向こうでの受験科目として取るのは頭がおかしすぎないかと思っていた。

 

2年生の途中で海を渡り、向こうでそのまま同じ学年に入学して翌年の受験年は

また違う学校に転校してそこでやっぱり物理をとることにした。(選択肢が

あまりなかった。とてもじゃないけど文系科目は英語のレベル的に無理で...)

日本のセンターのような試験が年度末にあるの以外に、Internalという各学校の

先生たちが課すプロジェクトのような試験がある。これと年度末の試験を総合

してそのレベルの単位を取得できるかどうかが決まるというシステムだ。

 

それで私の先生は物理のInternalに「地球外生命体の存在する確率」

「そして存在していたとしたらそこへ辿り着く事の出来る確率、その方法」

という問いを出した。それに応じた自分なりの答えを今まで学んだ物理の

知識を駆使して考察せよ?というものだった。書き終えるのに3ヶ月かかった。

その時に読んだのが冒頭で紹介した本だ。本当に素晴らしいタイミングだった。

引越しの時に荷物を処分する上でものすごい量の本を手放したのにそれはなぜか

そのまま持ってきていたという偶然のような出会い。付箋を貼って、書き写して

まとめてっていうのをやりながら何度も何度も読んだ。あんなに読めなかったが

嘘みたい。必要に迫られていたから読んだのかもしれないけど、それでもあの時

手元にその本があったからこそ自分もそのプロジェクトを完成することができた。

 

物理は結局不得意なままで終えた高校時代、でもいまあの時をきっかけに

本格的に目覚めた宇宙への興味は哲学までに手を伸ばし、私の中で生きている。

そのきっかけがこんなにも偶然に、でもあるべきときに自分の元へやってくる。

本の可能性、そのタイミングにはいつも驚かされてきていた。だからいま

こうして私の本棚で眠っているたくさんの本の数々はこれからの自分の未来を

照らしているのかもしれない。そう思うと明日が楽しみになってくる。

 

宇宙はどこまでも続いていく。

その謎は無限大で、その可能性もまた無限。

それは私の人生の一部であって、溢れる好奇心。

そしてそこへ繋げてくれた本との出会いなんだ。

 

 

 

muuu