音とその作り手の人間が自分の一部になる時

きれいに録音された曲を何万回も再生できる物質が存在するこの世界に生まれたわたしは本当に最近までライブというものに行ったことがなかった。

 

22年間生きてきて昨年の1月に初めてのライブに行った。ずっと好きだったPassengerのライブだ。会場に溢れかえるエネルギー。目の前のステージに立ち歌い続ける彼から発せられる魔法みたいななにかに全身が釘付けになってしまった。

 

今月のあたまに初めて野外フェスというものに行った。

心から愛しすぎていたOh Wonderが目の前で踊り歌っていた夏の午後四時。

わたしの世界はまた違う方向へ思い切り引っ張られていった。

東京の夜の街の中、泣きそうになりながら何度も再生した曲が目の前で、そしてステージを囲む人間たちが多数、一緒になって歌っている。あの時、苦しかったネオンの下での記憶に。そして二人から溢れんばかりに滲み出てくる愛に。わたしの隣で大好きだよと叫ぶおじさんからの愛に。わたしはその場所の空気と一体になっていた。

 

初めてひとりで行ったライブ。Lauvは記憶から引っ張ってきた愛に対するもどかしさや切なさで空間を一杯に満たしていく。彼の心の色が声と彼自身の存在を通じてわたしの中にこだましてくる。

 

Vance Joyほど愛に満ちた人はいないだろう。

ギター一本で小さいライブハウスのステージに立つ。

あんなにも一気に有名になったにも関わらずバーでのopen mic nightでの時に記憶を忘れない。その時に即興でつくった曲が彼のアルバムの中におさめられている。温かい目線とチャーミングな笑顔で空間になんとも言えない心地良さを撒いていく。一本一本の弦から紡がれる音はよく響いた。とても繊細で美しかった。

 

これらの音楽は手元にあるこの電話のスイッチを入れてイヤフォンをさせばまたいつでも聴ける。

 

それなのに。

 

彼らが目の前で歌う姿を目の当たりにするのはその音の裏にある彼らの見た景色や感じた世界を自分の世界の一部にしていくことなのかな。

 

 

mugiho