人生で初めて生のジャズを聴いた夜

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どうしても生の音楽が聴きたかった。

ただその一心でわたしはどこか行きやすくて時間と曜日の都合のつく場所を探していてた。ミートアップというアプリがある。趣味やテーマごとに構成された集まりが街のどこで何時からどんな趣旨で開催されているのか見られるシステムだ。何人誰が参加する予定かなどもわかる。わたしはこの国に来てすぐに登録したのだけどもうすぐ二年も経つのに一度も使ったことがなかった。これだ。わたしは最近心が傾き始めたジャズを中心に生の音楽を聴ける機会を探し回った。

 

水曜日の夜8時から市内では割とアンダーグラウンドなお店の集まる通りにあるバーで開催されるジャズライブを見つけた。これなら仕事の後に行けるし次の日に支障はない。ただそんな理由だった。わたしはとにかく「生」の芸術を求めていた。わたしの心は乾燥して干からびてカピカピで動くと痛かった。

 

こんな日に限って風は強くて時折小雨が風とともに吹き付けた。

それでも気づいたらなんとかそのバーの入り口に立っている自分がいた。入り口で入場料を払って奥に行く。ミートアップの主催者を見つけて声をかける。いまのところ見渡す限りわたしが一番若くて唯一のアジア人だった。人種差別をするわけではないのだけどこういう場に来るといろいろとコミュニティの中で偏りがあるのがはっきりとわかる。でも帰り際に日本やアルゼンチン、フィリピンか出身の人たちと話した。みんなジャズが、音楽が好き。ただそれだけだった。それだけでいいはずなのに。

 

主催者の人はニューヨーカーで引退してから奥さんとこの国に引っ越して来たそうだ。とてもフレンドリーで同じグループの人たちを紹介してくれた。カウンターでビールを頼んでスツールに腰掛ける。店の右側にはカウンターが。左側はソファ席とその前に無理やりいくつかのテーブル席が置いてある。開演15分前だけど既にだいぶ人が入っている。みんなドリンクを片手にゆったりとした雰囲気の中、談笑している。この店は通りの右側の角にあるので店の左が角はぐるっと窓になっていて外の光が漏れこむ。この時間帯と方角だと沈み始めた日の光が雲の間から滲むように入り込んでくる。

 

わたしは隣にいた同じグループの人に話しかけてみる。いつも起こることなので慣れっこなのだが案の定わたしの名前が発音できない。その時は大抵自分の名前の発音に近い英語名を名乗る。これだけで一気に会話が楽になる。最初は複雑だったけど所詮名前だし呼べる人は呼ぶしそうでない人はスムーズにことが流れる手段を使った方が良い。学んだこと。

 

話を聞くと彼もこの国出身だがアメリカに縁のある人でサンフランシスコに住んでいた時にジャズを聴き始めた、と。生で聴いたウディ・アレンクラリネットは忘れられないよ、と懐かしそうに話していた。

 

もうひとりは奥さんがこれまたニューヨーカーで自分も10年ニューヨークに住んでいたんだと話してくれた。昨年は1週間東京に滞在したんだ、わたしも彼女もビック・シティが恋しくてねと少し笑いながら。

 

はっきり言ってわたしはジャズに関してはまったくの素人。右も左もわらかないし、名前を言われてわかるのってマイルス・デイヴィスとかデューク・エリントンとか現代ではノラ・ジョーンズとか上原ひろみくらい。それでもなんとも雰囲気が楽なのだ。年齢層の問題なのか集まる人たちの種類の問題なのかはわからないけどそんなわたしでもこの場を楽しめる。そんな確信のある開演までの時間。

 

きっかり8時。

気づけば席はみんないっぱいで今晩のメンバーの編成とアレンジ・作曲を担当したベースの人が紹介を始める。最初の40分ほどはピアノベースドラムのトリオだ。ベースの彼が作曲したソロは遊び心をもった音と繊細さを持ち合わせたなんとも幻想的な音だった。これがジャズ?なんて心地いいんだろうって一番ステージに近い席で聞く。

 

残りの20分でテナーサックスが二人入る。ひとりはまだ若い。もうひとりはあれ、さっき入り口で会計をしていたおじさん。ビーサンに短パン半そでというこちら定番のスタイルで吹かれこまれたであろう良い色をした楽器を構える。若い方が入る。強い。ぐんと音が響く。躍動感とオレンジとか黄色みたいな色が飛んでいる。おじさんが入る。全然違う。音に立体感がある。次はぐんと重さに引き込まれるような。同じ楽器なのにこんなに違うの?わたしはただ音に飲み込まれていく。二人のユニゾンはそれぞれの強みがお互いを引き出してもう一段階上の音へと引っ張っていく。そして前半の幕が終わる。

 

立ち上がりたくなった。カウンターの方に戻る。

どうだった?嬉しそうに聞いてくる人たち。

わたしは首を振って身体中に音が響き渡ってきたよ、どうしようすごく好きだ!ってまるで愛の告白のような感想を述べた。良かった良かったとみんな笑う。

 

後半の幕はスツールの寄っかかる。

トランペット、テナー、ギター、ドラム、ピアノとベースだ。

今度は音が降ってくる。トランペットが軽い。音がふわふわ浮いているみたい。動かずにはいれらない。ドラムが良い。かなり良い。しっかりと支えながらもそこにちゃんといる。ピアノは音の間を縫う糸みたい。ギターのソロはぐわんぐわん静かに響いてくる。テナーは今度は抑えている。バランスの鍵になっている。ベースは深く深くみんなの音を引っ張りこんでいく。

 

それぞれのソロが終わると演奏中でも拍手が起こる。みんなステージに釘付けで見渡すと後ろの入り口の方まで立ち見でいっぱいだった。いつのまにこんなに人が集まったのか。

 

角の窓から今度は信号と車のライトが走り込んでくる。

音と一緒に光も踊る。

店内は少し暗めに。でも暗すぎず雰囲気はとてもカジュアルだ。

最後の一曲が終わってもみんなが拍手をやめない。アンコールだ。

 

ステージでさてどうしようかと少し相談する。

最後の最後がはじまり、そして終わった。もう終わっちゃうよ聴かなきゃというみんなの心が集まる。最後のベースの音の余韻がそこらじゅうに散らばっていた。

 

なんて夜だ。

そんな感想しか出てこなかった。

次も来る?もちろんだよ

そんなやりとりを何度か交わしてわたしは夜の通りへ出る。

空気は少し湿っていて雲に陰るもうすぐ満月であろう光が道を照らす。

 

すべて本来は生ものだけだったんだよなと思う。

録音する機械もなくてYouTubeなんて、インターネットなんて、パソコンなんて存在しなかったとき。みんな人伝いに感想とかそれぞれの興奮を聴いてこうしてひとつの空間に集まって直接音を浴びていたんだと。わたしはその空気を吸い込みたかったのだと気づく。

 

生の音を聴いて、そこに集まる人たちの音楽への愛とそれぞれが音を飲み込む雰囲気に身を置くという「体験」を求めていたのだ、と。

 

来週もまたあの場へ立っているわたしがいる。

 

 

mugiho