映画はつまり愛

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映画を観るのが怖くなる時がある。

その理由についていろいろ考えていたのだが、これと

言った答えにんたどり着かないまま夜になってしまった。

 

映画とはなにか。

そこから問い始めるともうどこから始めてどこで終わればいいのか到底わからないからいま自分の範囲での映画の存在について思うと、それは自分の一部であり日々の糧であり、世界への架け橋と窓であり、そして自分自身の井戸へ降りていく階段である。

 

 

知らなかった世界はなにも外的なものだけではなくて、実は一番自分の中にあるのかもしれない。そう思うとき、映画を観ているあるシーンに瞬間的に浮かぶ感動とか嫌悪とか喜びとかその他言葉では覆い尽くしきれない想いたちはきっとその知らなかった自分の一面をどんどん引き出してくるのだと思う。あったのに気づかなかったものを見せてくれる、どんどん内と外へと広がっていく世界はたぶん一度ぐるっと回ってつながっているんだろうなと思う。

 

それではなぜ怖くなるのか。

理由もなく、これを観たら何かが変わってしまう、そんな気がする時がある。観進めていくとどんどん自分の中で何かが進行していくのがわかる。自分自身にとっても未知だからどう表現すればいいのかわからない。いままで知っていたことが、価値観がガラガラと音を立てて崩れていくような。逆にとてつもなく懐かしくて、いつかどこかで体験した、そんな確信が溢れてくるとき。一瞬怯む。いつもの自分ではない。映画には人を変えてしまう力がある。しかもそのきっかけとかトリガーは十人十色であり、公式化することができない。その一秒だけの光や影であったり、仕草や視線だったりする。わからない。

その未知に対する恐怖なのかな。

 

でも観終わってたとえば誰かにその映画について話してみる。当たり前みたいにそのわからない何かを言葉にしてくれるときがある。知っている人がいる、隣で同じ方向を見つめている人がいる。

 

 

愛は、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめることである。

 - サン=テグジュペリ

 

 

こんな言葉があったよね。

 

つまり映画は愛。

 

 

mugiho