映像作家たちの求めるテクノロジー

wired.jp

 

言論の自由を訴える前にまずその手段、それらを伝える伝えない以前にその情報源が失われてしまう。あまりにも残酷でそして現実であるこの状況を映像を観る側としてどう受け止めていけばいいのだろうか。

 

“ポイトラスが世界最重要指名手配者のひとりを撮影していたときに抱えていた危険は、現代機器のセキュリティにおける盲点でもある。ほとんどのスマートフォンは、はじめから内部ストレージが暗号化された状態で売られているし、パソコンのファイル暗号化ソフトは無料かつ信頼できるものだ。しかしカメラは、たとえそれが報道写真家やドキュメンタリー監督が機密を要する写真や映像を撮るために使うものであっても、内容を暗号化し保存する機能がついていないのだ。”  

 

情報源が溢れるほどにそれらが守られる可能性はどんどん下がっていく。テクノロジーの関する脆弱性をはじめとし、どんなに守るとしても守れないもの。オンライに逃す方法を見つけてしまえばいいものの物理的なカメラという媒体の技術はまだそこまで到達していないようだ。

“WhatsAppやアップルといったテック企業でさえも、米国の警察を戸惑わせるのに十分なデフォルト暗号化を行ってきたが、カメラメーカーは、おそらく技術面かコスト面、もしくはその両方の問題があるためにまだ暗号化を行っていない。キヤノン製品用のアドオン「Magic Lantern」のようなサードパーティーソフトをつくっているメーカーは、アフターマーケットの暗号化機能をカメラに付ける試みを行っている。しかし、コードは未試験に近い状態であり、平均的なユーザーが理解できる範囲を超えるほど複雑な、カメラのファームウェアの変換プロセスが必要となる。

 

カメラを通して撮られるそのリアルな世界の力を勢力は、独裁国家はどれほど恐れているか、それらが持ち得る力がどれだけ大きいかということを私たち以上に理解しているのだろう。

 

テクノロジーの在り方というものが直接的に社会の在り方自体を変えてしまう。

私たちが普段当たり前だと思っているテクノロジーの裏には複雑な技術の網が様々な方向性に伸び縮みしながら鏡のようにもうひとつの社会を形成している。その二つがぶつかる時、私たちはこれから先これらのテクノロジーをどのようにして向き合っていけばいいのかということを問われる。それはどんな分野にも欠かせない問いであり、その定義次第でまた社会の流れが変わってくるということだ。

 

映像の可能性は個人の想いだけでは到達し得ない。

技術と一体になるからこそ、そこに大きな価値が生まれる。

 

視覚に関わる技術は力を持つ。

企業でありながらもそこで開発される技術は利害関係を超えて私たちひとりひとりが社会とどう関わっていくかということに大きく影響するのだろう。そんな倫理観を持ちながら動ける企業が今どれだけあるだろうか。