季節のせいかな

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季節のせいなんだろうか。

バスから外を流れていく景色を眺めているだけなのに、胸に込み上げてくる

何とも言えない虚しさとか切なさとか言葉で表すことのできない思いの数々。

本を読んでいても映画を観ていてもそこには自分の意識なんてものはなくて

その空間に一緒に溶けてしまっているような感じがするんだ。

だからなのかはわからないけど自分という主張が薄れてきているというか

前ほどに強い自我みたいなものが消えてくる気もする。それも気のせいか。

 

同時に馴染めない集団の中に身を置けば置くほど自分という存在を嫌でも

意識してしまうという矛盾がつきまとう。 外を自由に好きなように歩いて

いる時の自分と学校に身を置いている時の自分で意識が百八十度変わるわけだ。

しかもそれは明確な切り替えの時がある。学校へ行く電車に乗って外を眺めている

うちは一番心が落ち着いていていろいろなことを考え、読書したりただぼーっと

座っていたり映画のシーンを回想していたりする。でも地上での最後の駅に

差し掛かってそして地下へと電車が潜ってく瞬間。その時に自分の意識も一緒に

一気に暗闇にダイブするんだ。そこから3駅ほど。そうすると学校へあっという間に

着いてしまう。ここから後戻りはできない。電車から学生が溢れ出し、改札を通り、

地上への階段を上る時の自分の足取りはまるで鎖を両足に巻きつけられたような。

 

重くて、無力で、空っぽ。

こうして毎日意識が潜ってそして帰りに地下鉄を出る瞬間、そして帰りのバスから

外のゆっくり流れていく光を眺めながらまた水面へと息を吸いに上がってくる。

  そんな日々の繰り返し。

 

ここから生まれるものなんて何もなくて、ただこうして毎日を浪費している

という虚しさしか残らなくて、もっとこうしたいのにと思いながらまた明日の朝と

帰りの夜を過ごすためだけに起きる。 もっと活力に湧いて一瞬一瞬に何かを

見出したいのに。 どうしてかそのエネルギーが廃れてしまっているみたい。

 

どうせ自分なんて。っていうのはエゴの裏返しだなんて言うけども、

本気でこんな風に思ってどうすればいいのか常日頃考えて、もっと何かの役に

立ちたいと思っているのに自分を慰めるので精一杯の自分が嫌いで恥ずかしくなる。

 

全てが中途半端でどこへにも行きつことのできない感覚。

次の駅に着いたらまた違う電車に乗ってまったく違う路線の駅を目指すみたいに。

ぐるぐる回っているのかそれとも一定の距離を進んでいるのかそれはわからない。

 

そこにあるのは無力な意識と大きすぎる自我と願望の塊だけ。

 

 

muuu

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