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疲労感とは

 

疲労感にも様々な種類がある。

それは肉体的に自分のキャパシティー以上の動きをしたがために感じるもの。

慣れない場所で慣れないことに慣れようとするとき、思い切り息を潜めて

心を圧迫してずれないようにと必死になった結果としての疲労感。

それは大好きな人といつまでも語り合った末に辿り着く充実した疲労感。

 

あらゆるものに疲労感は存在している。

ただそのときの心の状態ですごく疲労感が左右されてくることはある。

常に百パーセント元気!という人もいるかもしれないがそれが本当の顔で

ある場合は少なく、人間にはみんな「波」というものがあると思う。

それをいかに自分で理解しているかがその疲労感の度合いにも響いてくくる。

 

自分は常に外の世界に対しては分析的にも関わらず自分自身のこととなると

とても不安定になる。それはまるで脳と心が癒着してしまっていて現実と

虚像的なその偽物の感情を履き違えてしまっているみたい。それはとても

厄介で一度感情のループに入ってしまうとなかなか抜け出すことができない。

事実と感情を混同してしまうとそれは物事を一気に複雑にしてしまう。

それがいい悪いは別にしてその「複雑」な状態が周りを不快な気分にしてしまう

というのはいただけないと自分では思っている。それは自分の都合で周りを

振り回すこと。それは相手が嫌だとわかっていることを自分と同じ目に合わせよう

なんていう醜いエゴからの心。他者との関係をないがしろにしてしまうのは

つまり根本的なところで自分自身がなにかを抱えているのかもしれないと思う。

そしてその抱えているものが疲労感を感じるひとつの大きな原因となっている。

気にしなくてもいい細かいことをいつまでもどうしようと考え続けもちろん

答えなんてものはないのだから考えている時間だけ自分を苦しめている。

考えすぎだよ。もっと気楽に構えなよ。この言葉を幾度言われたことか...

でもそう言われるほどに自分の社会に対する不適合性みたいなものをさらに

意識してしまいますますこの悩みと疲労感がひどくなる。悪循環というもの。

 

わたしにとって人といることは結構な労力を費やす。

いつだったかを境目に自分はとても非社交的な人間になった。

その境目を未だに自分の中で引きずっているのかと思うとなんだか自分が

小さくみえて鼻で笑ってしまいそうになるのだがそれが根本にまだいまもある。

人が怖くて、相手が自分に対してどう思っているとか常に先へ先へと回っては

その道にあるハードルをどけてぶつからないように慎重に歩いているからもう

さようならしたあとの疲労感はすごい。でも同時にとても波長の合う人と過ごすと

心の充実感というものがたまらない。バランスが取れないのか両極端になる。

たぶんその振れ幅がプラスな方へと振れたら充実感になるのだけどそれが逆の

方向へと振れた瞬間にそれは疲労感へと変わってしまう気がするんだ。

 

だから疲労感と充実感は紙一重。

語り尽くした後に感じる疲労感とも言える満足感とも言えるあの感じ。

同時に息を潜めてなんとか合わせて切り抜けた時に感じる身体から力の抜ける

疲労感には加えてなんとも言えない解放感が付き物だと思う。

こう書いているうちにいつもはネガティブな印象をもっていた疲労感に対する

イメージが少しずつだけだけど揺らいで少し親しみやすいものになってきた。

 

日常的に感じている状態をこうして書き出すことによってもっと客観的に

みることができるからもっと自分の感情と事実を引き離して見直すことができる。

こうして書いていると文章の順序も理論もめちゃくちゃなんだけど私の頭の中は

磨いた後の鏡のようにきれいに自分の虚像を映し出している。とてもよくみえる。

 

 

muuu