くすぶっているもの

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試験期間を終えたあとに戻ってきたツイッターなんだけど色々自分の中で

思うことがあってしばらくお休みしようと思った。なんていうのか。

この自分と向こう側との乖離みたいなものが大きくて言いたいことは呟いている

つもりなんだけどそれがただにネット上の言葉になってしまうのが自分は怖くて。

それはまるでやろうと立てた計画をまったく達成できなかったりいつも

口約束ばかりしている人のよう。嘘は嫌いなはずなのに結局は自分に一番

嘘をついているんだな、人間って。と思ったりもした。

 

何が正解でどんなやり方が正しいとか言うつもりはないしそもそもそんなものは

存在しないと思う。ただ自分の感じる直感とか思っていることにだけは正直でいる

ことが大事なのかもしれないと最近よく思うようになった。周りにあるものは常に

変わっていて自分も色々な経験や物事を通して良くも悪くも変化している

。だから絶対的な物差しなんていうものはないのだしそれをわざわざ探そうと

してしまったり、世間一般で当たり前とされていることが絶対的なものだと

思い込んでしまったりするのは嘘。それに無理に合わせたり逆に相手が

間違っていると言い罵る。そんなお互いのモラルとか道徳心の押し付け合いで

争いが起こる。そんな小さなことで、しかもお互い正義を名乗りながら争う。

そしてそれは自分の中で起こっていることとそう大差ないことだと気づく。

 

自分はこうありたいんだという思いと外から押し付けられるあらゆる価値観。

こうでなければいけない。これを持っていないと。これがないと。

誰がそんなことを決めた?誰が言い出したのか?

それは見えない影で私たちの思考や苦しみ、生活、すべてを操ろうとする。

特にいまの時代、ネットがこんなにも発達して本来は私たちの手に届き得ない

はずのものが届いたりその逆もまた然り。それは時には良くもありそして悪くもある。

 

だから私は考え続けている。

好奇心って単なる興味だけではなくて疑い深い心とか少し怪しいなと思ったり

するものも含まれていてもいいと思うんだよね。だからこそそれを自分の目で

見て確かめなきゃとか自分で読んで考えてみないとわからない。と思うんだ。

私は真面目すぎるのかもしれない。考えすぎるのかもしれない。

もう少し肩の力を抜いたほうがいいのかもしれない。

もっと楽に構えた方がいいのかもしれない。

幾度となくこんな言葉をあらゆる人に言われ続けてきたけど結局その一瞬は

言われた通りにできてもまた色々なものが頭にまた張り巡らされていく。

 

自分にいま足りないと思うものがあればそれは一言で言い表せる。

 

行動

 

どんなにこうしようと頭の中で想像してみたって、これ読もう、観ようと考えた

って実際にそれを手に取ってセットして読むのは私のこの肉体であるわけだ。

それなのに想像だけで物事が成就するという精神世界的なものが最近は特に多い。

そんなことを考えているより極限までいまの自分ができることをする。

そして最後の運は天に任せる。そこには後悔はない。最後の一滴まで振り絞った

自分には結果はどうであれ必ず学ぶものがあったんだと私は思う。

でもまずそのためには動かなければなにも始まらない。

みたい世界も、書きたい小説も、すべてわたしがここで手を動かし、

言葉を書いて打って、そのみたい世界へと自分の足で歩いてくんだ。

 

いまがなにか自分の中での転換点のような気がしている。

不思議ななんとも言えない感じなんだけどきっといまどんな風に動くかで

色々なことが見えてきて決まって形を取ってくると思うんだ。だからもっと

もっとわたしは動く。宇野千代さんの言う、行動と思考が同じ瞬間にある生き方。

 

いまのわたしにはそれが必要だ。

 

 

muuu