可能性は自分でつくりあげるもの

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「可能性」

とはなんだろうか。

今朝思ったのは可能性は自分の中で作り上げることのできるものであるということ。

それはつまり自分でそれが可能性なのかどうかと勝手に今までの自分の経験や知識、

他にも自分というものすべてが持っているものを総動員して決めることができる。

 

そのことが可能であるかどうかの判断である「可能性」という言葉が私たちに

与えてくれるもの。それは可能性自身であり私たちが動き行動していく後押しだ。

可能性が低いとか高いとかのニュアンスでよく用いられている印象があるが、

本来この言葉自体に可能性がある。だから高い低いの問題ではなく可能性自体が

あるということに着目するべきだと思う。私たちはいくらでもできない理由を

探しやらない訳を説明し仕方がないと首をすくめて言うことはできる。

どうやってやらないでいようかと考える時の言い訳の想像力は大したものだ。

自分自身今までそうだし、今でもそうだ。でも少しずつだけど前に進みたいと

思うようになってからはまだまだかもしれないが前よりは動けるようになってきた。

気のせいかもしれないが。

 

こうやって思うとやはり可能性とは自分たちでつくるものだなと尚更強く実感する。

それが可能かどうかはやってみないとわからないわけで、もちろんあまりにも大きい

目標があればそれを前に怯んだりしてしまうこともある。でももし本当にそれを

自分がやりたい、行きたい、心の底から身体が震えるほど強く思うものだったら

それは可能に変わる。可能性はわたしたち一人一人に宿っている魂であると思う。

だからそれを言い訳してつまらないことで閉ざしていくことは勿体ない以上に

生きている者としての覚悟が薄いんじゃないかと思う。だから今までなんなく

やってきたことがある日病なんかに倒れてできなくなると自分が今までできた

当たり前のことに対してのありがたみとか可能性に気づくことができるのという

ストーリーはたくさんある。それだけ私たちは自分の可能性を閉ざしている。

 

可能性があるからうまくいくとか順調に進むんだということはない。

可能性の存在は始まりにすぎない。それは時には苦しみすべてを投げ出したく

なっている私たちに光をくれる。思い切って飛び込めない私たちに最後の

後押しをくれる。その言葉に宿る無限の可能性がきっとこれからの未来を

作り上げていくんだろうなと思う。そしてそれはつまり私たち自身である。

 

みんな能力があって可能性があって未来がある。

それを生かすも殺すもすべて今この瞬間に積み上げる言葉と行動の両方に

かかっていることを意識するのは難しい。時間は相対的なものであって

もちろん今この瞬間からすれば未来は遠い先という場所にあるものだから

なかなかみえない。そして過去はもう終わってしまった私たちの歴史だから

変えることはできない。じゃあどうすればいい?

 

簡単だ。私たちの頭の中で時間軸なんていうものを消してしまえばいい。

無限に広がる草原のような空間に勝手にあちこちに時間を点在させてしまう。

好きな時間を掴みその時に自分に可能性という言葉を与えそして次へ移る。

今のこの瞬間から自分がその未来へと歩いていけばいい。

過去へ歩いて行き、それを今の自分からみて思い込みの解釈を変えればいい。

いい悪いの善悪の判断はその時の瞬間にしかないがそれが時間を置けばまた

違う思いに変化するから面白い。時間は私たちが自由に変えられる未来と

過去と今がつながるひとつの大きな円球なんだと思う。タイムラインの様な

前進後進の直線上ではなく好きな時に好きな様に生きられる人生という球体。

 

だから今がすごく重要なんじゃないかな。

もっと自分と可能性について信じることが

これからの人生の足なんじゃないかな。

 

 

muuu