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日記の始まりの物語

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自分にとっての「日記」という存在を意識し始めたのは小学5年生の頃。

低学年では絵日記なんかを学校の課題で書いていたけど自分で自主的に書き始めたのは10歳の時。妹の誕生日プレゼントを買いに寄った書店で一目惚れしたピンクの可愛らしいノートがあった。私はこれに書くんだとその時不思議な直感で母にそのノートをせがんだ。これは今でも鮮明に覚えている。書店から出てスキップしながら通りを渡ったんだ。

 

今思えばなんであんなダサいノートをいきなり欲しくなったのかさっぱりわからない。けれどもそれが私の日記の始まりだった。鍵もなにもない本当にただのノートだった。A5くらいの小ぶりなもので薄い花柄みたいな清楚な雰囲気。中はバインダーで行間の太めなページが連なっていた。

 

私はその時、始めて書くことにハマった。

最初は日々の出来事なんかを記していたのが徐々に自分の考えとか思ったこととか嫌だったこと、嬉しかったことなど感情の色を持つようになった。同じ時期に音楽にも興味を持ち始めて恥ずかしいくらいに下手くそな歌詞なんかを書いてみたりもした。その頃は毎日必ず書いていた。青いボールペンで汚い字でたくさん書いた。不安とか焦りとかその時ならではの悩みとか。そして楽しかった。

 

その日記帳が終わる頃に日本に帰国した。

ここでもしっかり書いていこうと新しいノートを買った。そして書けなくなった。ひたすら日常を書いていく事務的なものになりそしてついには書かなくなった。毎日必ず書いていたところから一気に日記帳をもみたくないというところまで転落したのには環境とか心情的な大きな変化があったんだと思う。

 

それでもあの頃もっとしっかり書いていればと思う時が今はよくある。

あの時に感じていたものは今は決して得られるものではなくてその瞬間のみに存在する。それを写真のように切り取って残すのだ。日記とはその人の足跡そのもの。

 

中学の頃にブログが流行り始めて私も書いていたけど何かが違った。

それでもブログは長いこと書き続けていた。だらだらと続けていたとでも言うべきだろう。高校生になる頃にモレスキンと出会う。私の場合はどうも形から入るらしくて素晴らしいノートに出会うたびにペンを手に持ち書き始めるのだ。

 

モレスキンには日記だけではなくてあらゆるものを詰め込んだ。

写真、スケッチ、チケットや広告。包み紙やリボン。私だけの結晶そのものが完成したような気がした。それから毎日ではないけどなにかを記しながら今モレスキン3冊目。その間に違うノートにも出会い寄り道したけどここに舞い戻ってきた。

 

10人いれば10通りの日記があり、同じ人間で感情も一番のベーシックなものとして喜怒哀楽があるはずなのにこんなにも複雑で美しくて難しく違うものが出来上がる。

 

以前Historyの授業で日記に重要性について説いていた。

それは貴重な資料となるもので時代そのもののコンテクストを切り取ったように残すことができる数少ないものであると。そこにはあらゆる人間のあらゆるものが記されていることだろう。

 

私も一言でも何ページでも書き続けていきたい。

自分の小さな軌跡をこの地に残したい。存在してそこで感じ呼吸をしその瞬間を全うしていたことを示したいんだ。

 

 

muuu