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書く


「作文が大嫌いになった児童の話」について - いつか電池がきれるまで

 

本日このブログ記事を読んでとても共感する

ところがあったので色々と書いてみようと思う。

 

 

 

 

 

それが変わったのがNZの高校へ転入し英語の授業を受け始めた時だ。

私のメンターともいえるべく素晴らしい先生に出会うことがきっかけで

私は本当に「書く」のが好きになった。以前の私からは想像もできない。

 

W先生は私のESOLの先生で私の場合大学のために一学年前の英語の単位が必要だったのでそれの取得とIELTSの対策をメインにしてくれた。私のクラスは一応留学生用の英語クラスだったが生徒は私を含め4人でみんなネイティブに近い英語力を持っていた。(いや私の場合は何かの手違いだったと思う。)逆に普通の英語のクラスではなくこのクラスで学べたおかげで書くことに対しての意識が変わったと言ってもいい。人数が極端に少ない上にそれぞれ違う単位取得や目標へ向かって作業していたのであまりクラス全員で同じことをするという機会がなかった。

 

私は初めてのEssayを書く作業から始まり文章の大まかな構成やアイディアの練り方、細かい文章のつなげ方や文法的なことまでとあらゆることを主に個人的に教えてくれた。その過程でW先生と色々と話をするようになった時、彼女が私に言ってくれた。

 

「あなたには書く才能がある」

母国語ならまだしも第二か国語でここまで書けるのはやっぱりいい気質があるわ」

 

と。私のCreative Writingやレポートなどを読み一緒に細かい文法やsの付け方までを教えて指導してくれた彼女からのこれ以上ない贈り物であった。例えそれが私に自信を持たせるため、励ますために言った一言だったとしてもそこで私の「書く」ということに対しての苦手意識が180°転換した瞬間だった。

 

私は書くことが好きになった。でもこれはいきなり好きになったわけではないし褒められたから好きになったわけでもない。最初はエッセイを書くのも嫌々、できれば避けて通りたかった。それでもNZの大学進学資格を得るための最低限ラインを越えなければいけなかった。仕方なく始めたこのレッスンを通して、この課題を通して私は「書く」ことの魅力に近づくことができた。これが母国語でもない言語でだからなんだか不思議な気分だがそれと同時に自分で日本語でも色々と書くようになっていた。モレスキンに自分の思ったことや考えたことを言語化することができた。アウトプットする機会が増えたことで今まで持てなかった視点から物事をみてみたり感じてみることができるようになった。

 

一気に世界が広がったような感じだ。

 

本の読み方も明らかに変わった。小説などでは細かい描写に美しいとか面白いと感じその感情自体を発見できるようになったし普通の文章を読むのであってももっと細かく深く読めるようになった。今までは読むのは速かったがいまいち腑に落ちなかったり理解がすっぽち抜けてしまっていたりということがしばしばあった。それを一つ一つ丁寧に拾っていくように読めるようになった。

 

そして何よりもW先生とこの課題は私が「書く」ことが好きなんだということを認識させてくれた。彼女が私にあの言葉を言ったときに「あぁ私は書くことが好きなのか」と思った。これは自分の中での大きな転換点となった。

 

この体験をみんなが体験するわけではないし書くことが今もなお、苦痛である子供たちがいると思うと心が痛む。私が彼らにしてあげたいのはもっと世界を広く見ようと手を取り導いてあげること。今は学校の先生、親、という自分に覆いかぶさっている存在に否定されたり排除されているかもしれない。自分のぶっ飛んだ考えや思ったことを言えないかもしれない。でもそれらを何らかの形で表現できる。そう、表現の自由と場を与えてあげたらどうだろう。書くことだけではなく絵や工作やその他たくさんの形で彼らは自分の思ったこと、本や映画や毎日について考えたことを羽をいっぱいに伸ばして表すことができるのではないか。

 

今必要なのは根本的なところから自由に表現できる場所と

それらを見る人たちのマナーやその表現に面と向かい合って

みようとしていくような姿勢の持ち方の見直しだと思う。

 

 

最後に私にたくさんのことを教えてくれたW先生に心からありがとうと言いたい。

 

muuu