書くことの根源=言葉とは 『言葉が鍛えられる場所』平川克美

 

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書くことって何なのかな。

ブログを書くことって。人の目につく場所に自分の言葉を散らすことは何を意味していて、自分はそれを通して何をしたくてどこへ行きたくて、今日も明日も昨日もすべて言葉で表してしまえると思っていることは、結局は言葉なんかでは到底到達できないところにある。

 

 そんなことを思い悩む日々。

『言葉が鍛えられる場所』平川克美を読み終えた。

終わった時の心の平穏さといったら。これを読んでしまった私はこれから言葉とどう向き合っていけばいいのだろう、という問い自体に何か書くことの意味が伺えるような気になった。

たった18章しかないのに、この中には著者が歩いた言葉の道が、その足跡がくっきりと刻まれていて私はそれを辿るだけの旅人なのだが見える風景に圧倒される。言葉はこんなにも遠く離れた場所にあって、そして何かを言いたくて言いたくてたまらない時になんて無力で、それでもその言葉を紡いでいこうという覚悟を持つ者たち。死者たちの代弁者。日本にはこんな言葉にならない言葉を書く人々がいたのかと感動する。

 

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雨が降るとき

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まず、朝焼けがとても綺麗。

朝6 時半に玄関を開けて、ふたつめのドアの先に日の出の方向が見えるのだけど、空が真っ赤に染まっている。ピンク。紫とグレーが混ざっている。太陽自身は見えない。街への橋を渡るときに左手に広がっている海はいつもよりとても明るくて、そして暗い。真っ黒に見えるんだけど、分厚い雲のすきまから漏れ出した太陽の光が左前方に見えるビルに反射して、それが水面に映る。そうするとそこだけが照らされて、それ以外の周りの空間はますます暗闇に沈んでいく。

 

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映画はつまり愛

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映画を観るのが怖くなる時がある。

その理由についていろいろ考えていたのだが、これと

言った答えにんたどり着かないまま夜になってしまった。

 

映画とはなにか。

そこから問い始めるともうどこから始めてどこで終わればいいのか到底わからないからいま自分の範囲での映画の存在について思うと、それは自分の一部であり日々の糧であり、世界への架け橋と窓であり、そして自分自身の井戸へ降りていく階段である。

 

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